おいしいおはなし第49回『シャーロック・ホームズの思い出』探偵のためのチキンのカレー煮

絵本から児童書へ、児童書から大人の本へ——と言うとそれぞれステップがあるように聞こえますが、実際は段というより坂道みたいで、気がついたらその本の前に立っていたというような気がします。私が坂道を上って大人の本棚から手に取った最初の本は、新潮文庫のシャーロック・ホームズのシリーズでした。江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを読みまくっていた頃に、その先人である探偵小説家のエドガー・アラン・ポーやコナン・ドイルという存在を知って、興味を持ったのです。以来、新潮文庫のホームズのシリーズは、ずーっと書棚に並んでいる本のひとつです。
ご存知、シャーロック・ホームズは世界で最も愛されていると言っても過言ではない探偵です。コナン・ドイルの手によって1887年に世界に送り出されて以来、ホームズとワトソン、二人の下宿の大家であるハドソン夫人や警視庁のレストレードなどのキャラクターたちや、ビクトリア朝のイギリスを舞台にしたバラエティ豊かな謎解きのストーリーは、色あせることなく私たちを魅了し続けています。
映像化もたびたびされていて、最新のTVドラマ「SHARLOCK」(イギリス・BBC)では、舞台を19世紀から21世紀に置き換える大胆な演出でありながら原作をしっかりと感じさせ、世界中で大人気となりました。

ホームズ・シリーズのファンはシャーロキアンと呼ばれ、今も世界中でさまざまな視点から作品を読み解いています。食生活やライフスタイルの視点で研究している人もたくさんいて、研究書はもちろん、レシピブックなんかもあります。
レシピブックといっても、ホームズ自身はあまり食に関心があるわけではなさそうです。思考に集中すれば食事なんて当然のようにすっぽかします。でもおはなしに食事が全く登場しないわけではなく、事件の始まりは朝食中や昼食中だったりすることも多いですし、機嫌の良い時には《卵をゆでるというだけのささいなことでも、時間の経過に気を配るという注意力を必要とするんだね。》(「ソア橋」『シャーロック・ホームズの事件簿』203頁)なんて料理にコメントしたこともあります。また、事件が解決すると、シンプスン(今も営業している老舗レストラン)で何か栄養になるものを食べようとワトソンに声をかけたり(「瀕死の探偵」『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』)もします。
そんなホームズの食卓の中で特に興味を惹かれる料理がカレーです。カレーが登場するのは二度。1つは「白銀号事件」に出てくる羊のカレー料理。もう1つは「海軍条約文書事件」に出てくるチキンのカレー料理です。おはなしはどちらもシリーズ4作目の第2短編集『シャーロック・ホームズの思い出』に登場するもので、書かれたのは1892〜1893年。その当時、イギリスではすでに「カレー」は一般的な料理だったんだなあ、と分かります。冷蔵庫なんかない時代ですから、カレー料理はローストした肉などの残り物をスパイスの風味で味変して食べきるための、いわば「始末料理」だったようです。
今回作ってみたのは「海軍条約文書事件」に登場するチキンのカレー料理。おはなしのエンディングに朝食として登場します。ホームズはチキンのカレー料理のふたをとりながら「ハドソン夫人はずいぶん気がきくね」(『シャーロック・ホームズの思い出』307頁)と、言います。ハドソン夫人は前夜に作ったローストチキンの残りを、夕飯もろくに食べず事件を解決してくたくたで帰宅したホームズのために、ちゃちゃっとカレー料理に仕上げたのかもしれません。

〔材料〕

(2人分)
骨つきもも肉 2本(800g程度)
A
 塩 小さじ1/2
 こしょう 少々
 オールスパイス(粉) 小さじ1/3
 小麦粉 小さじ2
たまねぎ 1個
りんご 1個
にんにく 1片
水 300㎖
塩 小さじ1/2くらい
カレー粉 大さじ1
生クリーム 200㎖
オリーブ油 大さじ1

〔つくり方〕
  • 下準備をする。
    もも肉は両面に塩こしょう(A)をし、オールスパイス(A)をもみこんで30分ほどおく。
    たまねぎは皮をむいてくし切りに、りんごは皮と芯をとった厚めのいちょう切りにする。にんにくはスライスする。
  • 肉を焼く。
    フライパンにオリーブ油の半量を入れて中火にかける。
    もも肉に小麦粉(A)をまぶしつけたら皮目を下にしてフライパンに入れ、蓋をして5分ほど焼く。
  • 野菜を炒める。
    深めの鍋に残りのオリーブ油とにんにくを入れ弱火にかける。にんにくの香りが立ってきたら、たまねぎとりんごも入れて中火にし、ざっと炒める。
  • 煮込む。
    ❸に❷をのせて、水と塩、カレー粉を加え蓋をする。沸騰してきたら弱火にする。15分ほど煮込むと水分が増えてくる。あくを取って鶏肉を裏返したら生クリームを加えて再度蓋をし、25~30分ほど煮込む。
    味を見て、足りなければ塩で味を調えて、できあがり。

茹でたじゃがいもやいんげん、パンなどを添えて、カレーソースに浸しながら召し上がれ。レモンを途中で絞っていただくのもおすすめです。

『シャーロック・ホームズの思い出』
コナン・ドイル著、延原謙訳(新潮文庫)
ホームズの短編集の2作目(先んじて『緋色の研究』『四つの署名』の長編が刊行されている)。ホームズの分析力や推理力が遺憾なく発揮され、ワトソンとの名コンビもますます冴える。収録された10本の短編は、1892年12月から1年間にわたって「ストランド」誌に連載された作品。特筆すべきは、ホームズの最初の事件であり探偵を生業とするきっかけとなった「グロリア・スコット号」。また、カレー料理が登場する2つの短編が本書に収録されており、同時期に書かれたのだと思うと興味深い。また、ホームズの最大の敵モリアーティとの対決を描いた「最後の事件」もシリーズ最重要の一作だ。

子どもの文学のなかに登場する(あるいは登場しそうな)おいしそうな食べ物を、読んで作って紹介している連載「おいしいおはなし」。第40回までの連載をまとめた単行本『おいしいおはなし』(グラフィック社)は、全国書店または各オンライン書店にて発売中。

文と料理:本とごちそう研究室(やまさききよえ・川瀬佐千子) 
写真:加藤新作
スタイリング:荻野玲子