おいしいおはなし第48回『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』新年の朝ごはんにクランペット

それはいつもと同じ今日の続きの明日であり、昨日の続きの今日であることは分かっているのですが、大人になった今も、やはり大みそかと元旦の間にはなにか特別な“なにか”があるような気がします。その“なにか”は門やドアのようなもので、夜中の12時になるとそれが開き、眠っているうちに自分を含めた世界がその向こうにある「新しい年」にひょいっと一歩踏み出す——と、子どもの頃にはそんなイメージを持っていました。
だから、『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』のなかで、マイケルが、前の年はいつ終わって新しい年はいつ始まるのか? とメアリー・ポピンズに疑問を投げかけた時には、興味津々で読み進めました。
おはなしの舞台はロンドンに暮らすバンクス家の大みそかの夜。子どもたちの面倒を見ているメアリー・ポピンズは、子どもたちの着替えを“魔法のように”すませると、《さあ、ベッドにとびこんで!》と、命じます。ジェイン、マイケル、ふたごのジョンとバーバラがめいめいのベッドに飛び込んだ時、マイケルが先ほどの疑問を口にするのです。それに対してメアリー・ポピンズは、時計が12時を打ち始めた時が「前の年の終わり」で、打ち終わった時が「新しい年の始まり」だと短く答えます。その回答に、マイケルはさらに不思議を深めます。
《「そう? じゃ、あいだはどうなるの?」と、マイケルが聞きました。》(255頁)
時計が12時を打ち始めてから打ち終わるまでのあいだ。なるほどそこは、今年でも来年でも大みそかでも元旦でもないはずです……!
しかしメアリー・ポピンズはマイケルの問いには答えず、子どもたちのおもちゃや絵本を戸棚の上に並べます。そして、どうしてそういうことをするのかという疑問にも答えず、子どもたちに早く寝るように言って、部屋を出ていってしまいました。

大みそかの夜、「来年になるまで起きているんだ!」と子どもたちが意気込むのはいつの時代もどの街でも一緒です。マイケルも、新しい年が来るのを見るために姉のジェーンとがんばるのですが、やっぱり眠気には勝てません。そうして寝息だけが聞こえる子ども部屋にビッグ・ベンの12時の鐘が響きはじめ、部屋には何かの気配が……。目を覚ましたマイケルたちは、メアリー・ポピンズが戸棚の上に並べてあったおもちゃたちと一緒にある場所に向かいます。そこは新しい年が生まれるまでの、時計の鐘が打ち始めてから12回打ち終わるまでのあいだにある、秘密の“すきま”。そこには、むかし話や民謡、童話に登場するものたちやお馴染みのおもちゃたちが勢揃いして、みんな一緒に仲良く踊っていました。
メアリー・ポピンズの物語のさまざまな夢のようなシーンの中でも、この大みそかの“すきま”を描いたシーンは最も美しいシーンのひとつではないかと思います。その様子はどんなかというと……眠り姫がジェーンとマイケルにする説明の言葉を借りましょう。
《「そうして、そのすきまのなかでは、あらゆるものが、一つのようになるのです。永遠の敵同士が、会ってキスをするのです。オオカミと子ヒツジがいっしょに横になりますし、ハトとヘビが、一つの巣を分けあいます。星が、身をかがめて、大地に触れますし、若いものと年寄りが、おたがいに、許しあうのです。夜と昼も、ここで会いますし、北と南の極(はて)も、そうなのです。おふたかた——ただひとつの時で、ただひとつの場所なのです——そこでは、だれでも、末がなく幸福に暮らすのです。ごらんなさい!」》(272頁)
その《ただひとつの時で、ただひとつの場所》の向こうから、鐘の音が聞こえてきます。10回目、11回目……そして12回目が鳴ると同時に、その幸福な景色は、はかなくスーッと光に溶けるように消えてしまいました。そして、力強いビッグベンの鐘の音の向こうから、軽やかで楽しげな別の鐘の音が。それは、通りを歩くクランペット売りの鐘の音でした。《「だれか、クランペットいりますか?(中略)クランペット売りが、通りに来てるんです」》というメアリー・ポピンズの声も聞こえます。新年の朝が来ていたのです。
この彼らが食べるクランペットが今日の一品。この本を読んだ頃、「それってどんなだろう……」と想像をかき立てられる未知の食べ物のひとつでした。クランペットはイギリスの食べ物で、発酵させた生地を丸く焼いたもの。パンケーキやホットケーキと似ていますが、もっと小さくて厚くて表面の穴ぼこが特徴です。大人になって食べてみたら、もっちりとしていて美味! 昔のロンドンには、鐘を鳴らしてクランペットやマフィンを通りで売り歩く人がいたそうです。日本で言うとラッパを鳴らして売りに来るお豆腐屋さんみたいなものでしょうか。どちらも今はすっかり見なくなってしまった風景ですが、クランペットそのものは今もスーパーなどでよく売っています。たくさん作ったら冷凍保存して、食べる時に軽くトースト。ジェインやマイケルたちのように、朝ごはんにいただくのがおすすめです。

〔材料〕

(直径10cmくらいのセルクル型6枚分)
A
 薄力粉 100g
 強力粉 100g
 塩 小さじ1/3
 ベーキングパウダー 小さじ1/2
B
 牛乳 120㎖
 水 120㎖
 砂糖 小さじ1と1/2
 ドライイースト 小さじ1

バター 適宜

〔つくり方〕
  • 下準備。
    セルクル型の内側に薄くバターを塗っておく。型がなければ、アルミホイルを二重にして直径10cmくらいのリングを作って代用する。
  • Aの材料をすべて合わせてよくふるっておく。
  • イースト液を作る。
    Bの牛乳と水、砂糖を小鍋に入れ、ごく弱火にかけて人肌程度まで温める。火から下ろしてドライイーストを振り入れ、暖かい場所で15分ほど発酵させる。
  • 生地を作る。
    ❷に❸を少しずつ加えながら、泡立て器でぐるぐるとよく混ぜる。生地がなめらかになったら、ふわっとラップをして、暖かい場所において、30分ほど発酵させる(2倍くらいにふくらむ)。
  • 焼く。
    フライパンを弱火にかけ、バターを溶かす。そこに置いたセルクル型に、❹の生地をおたま1杯ずつくらい流し入れ、蓋をしてじっくり焼く。
    表面にふつふつと穴があいてきたら裏返して、焼き目がつくまで焼く。お皿に盛り、はちみつなどお好みのものをかけてめしあがれ。

イーストは寒い季節は発酵しにくいので、オーブンの発酵機能や暖房のそばに置くなど工夫してみましょう。また、セルクル型はなくてもつくれますが、パンケーキみたいにかなり広がってしまうので、クランペットらしい分厚いかんじを出すためには、面倒でもぜひ型を使ってみてください!

『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』
P. L. トラヴァース作、林容吉訳(岩波少年文庫)
名ミュージカル映画としても、近年の新作映画としても人気のメアリー・ポピンズ。こちらは原作のシリーズの4作目で、1作目で風にのって登場しバンクス家の子守として大活躍した、ちょっとこわいでも全てお見通しで誰よりもやさしいメアリー・ポピンズが、今度は花火の星にのってさくら通り17番地に帰ってきた。子どもたちはメアリー・ポピンズと過ごす不思議な時間、魔法のような冒険を楽しむ。本作はメアリー・ポピンズがバンクス家を最後に滞在したときのおはなし。作中には、メアリー・ポピンズとは何者なのか?という問いに対するある答えも。