「旅に出るのは見たことのないものを見たいというのが原動力。そうやって出会った世界を写真で記録したい」高橋ヨーコ
——心地よい色にあふれた広告写真やファッション写真を撮影する一方、東側諸国を中心に世界中を旅し、その土地の持つムードや時代を切り取っている高橋ヨーコさん。彼女の写真はノスタルジーと好奇心を同時に刺激する。旅をし、撮り続ける彼女の源を探った。——
見えないもの、“壁”の向こうを見てみたい
写真を撮っていなかったら、旅はしてないと思います。例えば休息みたいな旅はするかもしれないけれど、その場合はホテルから一歩も出かけないでしょうね。旅に行くのは、やっぱり見たことのないものを見たいというのが原動力で、そうやって出会った世界を写真で記録したいんです。旅に出る時に撮ったものを発表するとか誰かに見せるとかの“つもり”はなくて、撮り続けているうちに「面白いテーマが見えてきたからまとめてみようかな」という気持ちになるわけです。
見たいもの、一番心惹かれるのが“壁”の向こうの世界です。鉄のカーテンとかベルリンの壁とか、子どもの頃から90年代まで東側の世界はそういう“壁”の向こうにあって、ミステリアスな存在でした。小さい頃はなんだかよく分かっていませんでしたが、垣間見える壁の向こうの世界の、まるでポップじゃない冷たい感じがかっこいいなと思っていました。知れば知るほど、今でも興味はつきません。
子どもの頃に住んでいた京都には当時まだ、映画『パッチギ!』のような雰囲気が残っていて、民族差別とか部落差別とかがあることを日常生活の中で知っていました。それが何なのか、よく分からないから怖い気持ちもあるんだけれど、怖いからこそ見てみたい、見えないから知りたい、そういう思いがありました。“壁”の向こうを見てみたいというのは、そこから始まっているような感覚がありますね。子どもの時ってすごくちっちゃな世界で生きていると思うんですが、自分はそれ以外の違う世界があるんだっていうことに気がついちゃった。
カメラマンになったのはいい加減なきっかけなんです。大学では当時最先端のコンピュータープログラミングを学んでいましたが、4年生になった時、みんなが就職活動している中で自分は就職したくないなと思うようになって、結局就職しないでライブハウスでアルバイトを続けていました。そうしたらある時、ライブハウスの人に言われたんです、「写真やったら?」って。
小さい頃から機械としてのカメラに興味はありましたし、高校生の時に父の一眼レフカメラを借りて演劇部の友人を撮った一枚がすごくよかった、という体験はありましたけれど、カメラマンって目指してなれる職業だとは思っていなかった。でも言われて、“カメラマン”ってカタカナでかっこいい、ありかも!と思いました(笑)。それで「どうやってなるの?」と聞いたら「スタジオっていうのがあるらしいよ」と教えてもらって、とあるスタジオにアルバイトで通うようになったんです。
いざスタジオに行ったら働いているのは日藝写真学科に在籍中の人たちでした。彼らが、写真のことなんて何にも知らない自分を面白がっていろいろ教えてくれたんです。それでじょじょに写真の仕事を覚えて、いつしか有名カメラマンのアシスタントの手伝いをするようになりました。
そしたらまたある時、手伝っていた人に「いい加減、一人でやってみれば?」と言われたんですよね。びっくりしました。自分としては、アシスタントとして結構うまくやっていたし一生このままでいい、くらいに思っていたから。たぶん、慢心してえらそうになってたんでしょうね。それじゃあ作品でも撮るか!とカメラを持って出かけたのがシベリアでした。ずっと興味を持っていた“壁”の向こうを見てみようと思ったわけです。1995年くらいだったと思います。お金もないし、ビザを取るのも一苦労で、本当に大変な目にあった旅で、帰ってきた時は、なんとか帰ってこられてよかった、と思いましたね。
それで、撮ってきた写真を自分で一冊の本にまとめました。プリントしてコピーして、切ったり貼ったりして、製本して。それを作っているうちに、すごく楽しくなってきたんです。よく覚えているのが、壁一面に撮った写真のカラーコピーを並べて貼って眺めた時、「すごくいい!」と自分で思ったこと。写真好きだな、と思ったんです。原点といえば、やっぱりこの時の写真だと思います。
自分を動かす“真面目なパンク”
独立してから手がけていた仕事のほとんどはファッション雑誌でした。結構忙しくなって仕事は楽しかったんですけど、もっともっと作品撮りもしたいし、知らないところに行ってみたい、気になっているところを見てみたい気持ちが常にあったので、それを実行するために年に1回は結構長く休みを取ると決めて、ふらっと旅に出るようにしたんです。そのうちに、ファッションやCDジャケットなどの仕事で「旅で撮った写真で、こういうのない?」と聞かれるように。何年も自腹でいろんなところを旅して写真を撮ってきたのが報われた!みたいな感じ。思い切って旅に出ていて良かったなぁと思いましたね。
フリーランスで仕事が続いているのに休むのは結構勇気のいることです。なんでやれたかっていうと、「普通やんないでしょ!?」みたいなことをやりたくなっちゃう時があるんですね。基本的にすごく真面目に育っているんですが、時々そういうひねくれたことをしたくなっちゃう。そういうのを自分で“真面目なパンク”って呼んでいます。
2010年にサンフランシスコに引っ越した時もそうでしたね。いろんな人が「えっ、今!?」と思ったらしいです。仕事が順調なのにもったいないって。そういえば、カメラマンになるという時も「えっ、もったいない」って言われました。同級生はみんなすごい大企業に就職してましたから。でも自分は、何か反動というか、“そっちじゃない方”に惹かれてしまう。そしてひとたび真面目なパンクが目を覚まして「こうしたい」と思ったら、もう自分を止められないんです。
写真を撮りに旅に行くのって、結構体力が必要なんですよね。だから、今は撮れる限り撮り続けたい。見てみたいのに見られていない場所、撮りたいのに撮れていないものがまだまだあるんですよ。いつも写真を撮っている時はわくわくしています。「すごい!」「わお!」と、一人で興奮してしゃべりながら撮っていることもありますよ。
よく写真は世界へ開く窓だと言っていますが、カメラは自分にとって世界への“ドア”なのかな。カメラを持って旅に出ることで、見たことのなかったものを見て、知らなかったことを知り、もっともっと興味が湧いてくる。美しいものも不思議なものも良いことも悪いことも全部がある世界へ、一歩を踏み出すドアなんだと思います。
高橋ヨーコ
1970年、京都府京都市生まれ。ファッション写真や広告写真などで活躍するかたわら、東ヨーロッパ各地を中心に旅をし写真を撮り続ける。2010年にサンフランシスコに移住し10年暮らしたのち、帰国。国内での活動を再開する。蒼井優とともに旅をした写真集『トラベル・サンド』『ダンデライオン』や、自身の旅をまとめた写真集『EASTSIDEHOTEL』『WHITELAND』『SANFRANCISCO DREAM』など、著書多数。
Interview&Text: Sachiko Kawase