Lifestyle magazine
for modern family

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DATE 2018.03.23

第4回:長島有里枝より
「息子がときどき知らない男の子みたいに見える」

女性は子どもを産むとみんな「はは」になる。当たり前のことだけど、みんなそれをどう受け入れ、日常を送り、自分の生き方を新たに手にするのでしょうか。この連載では、クリエイターとして活躍する二人の「はは」と「ハハ」に手紙をやりとりしていただきます。それぞれの悩みや愚痴、ときに葛藤、あるいは日々の喜びから、あなたや私の「はは」としての生き方のヒントがみつかるかもしれません。

長島有里枝さんから山野・アンダーソン・陽子さんへ。

 

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陽子さん

 

こんばんは。

ストックホルムはまだ冬の真ん中でしょうか。東京は少しずつ、春の気配が感じられるようになってきました。ハクモクレンに蕾がつくとか、早朝の車のフロントガラスに霜が降りないとか。一番うれしいのは、冬のあいだ30%台だった加湿器の湿度計の数字が、40%の後半から50%前半になったことです。

いただいたお返事に励まされました。春を感じてウキウキしているのも手伝ってか、うれしくてキッチンで小さくジャンプしました。陽子さんは、ストックホルムという都会のなかでもひときわリベラルな地域に住んでいるのですね。わたしは当たり前だと思っているけれど、友達とは簡単に話せないことのほとんどがそこでは受け入れられているのだと想像します。いざとなればそこにいこう、と思える場所がこの世界に存在しているとわかっただけで、本当にほっとしました。

 

子供を産んで、関わるようになったコミュニティでは、陽子さんが挙げてくれていたような家族のあり方はほとんどタブーだと思う(怖くて確かめられないのでわからないですが)。片親とか、子供がいるのに籍を入れないとか、同性同士の親とか、養子をもらうことでさえ「かわいそう」と思われるだろうことは、残念だけれど間違いないと思います。別れた夫と、いまでも親として協力したり相談したりすることを知った人に、どうしてよりを戻さないのか聞かれるというのは何度も経験しました。いまは一緒に暮らす人がいるのですが、彼をわたしの「ご主人」と呼ぶ人も多い。大人が子供のためにやれることをしながら、自分が自分であることを辞めずにいることがどうしてこんなに難しいのかわからないけれど、わたしがいま暮している東京郊外の街ではこういう感じです。そんなわけで「母」のわたしは、ありのままの自分や考えをできる限り隠して生活してきたつもりなんですが、それもどこまでちゃんとできていたのかはわかりません。結局、ちょっと変わった人だと思われていた気もします(笑)。

 

さて、高校生の息子を持つという感覚についてですが、最近ようやく大きい子供というものに慣れてきたところです。わたしの場合、16年で何度か、息子が知らない子に見えるときがありました。というのも、ふだんの暮らしはなだらかに繋がっていて、それに忙殺されているうちは、子供の身体的な変化になかなか気付かないのです。でも、例えば、彼が小学二年生のとき、家事がひと段落してふと気づくと、ソファでパジャマの上着を着ないまま眠っていたことがありました。それを少し離れた場所から眺めていたら、その子がうちの子より大きいんです。というか、わたしの頭の中で彼は赤ちゃんのままだったから、すでに少年に成長していたことに気づいていなかったの。わぁ、大きくなってる、って思いました。中学生の時にもそういうことがありました。声が変わり、いままで見下ろしていた息子に見下ろされるようになっていく過程で、彼がときどき知らない男の子みたいに見えて不思議な気持ちになりました。そのとき思うんです、あれ、わたしの知ってるあの子はどこに行っちゃったんだろう、って。大切にしていた、可愛い人を失った気持ちにさえなって、寂しいです。息子にその気持ちを打ち明けたら、笑われてしまいましたけれど。そういうとき、わたしは小さいころの写真を見ました。そうするといろいろなことが懐かしく、ますます悲しくなるんだけれど、写真の中の可愛い赤ちゃんとはもう永遠に会えないのだ、ということを少しずつ受け入れていくようになるのかな、と思います。

 

子供が大きくなると、言葉で築く関係性の割合が大きくなります。だから喧嘩もします。先日もちょっとした口論になったのですが、そのときちょうど、母親であることはいつか終わるのか、みたいな話になりました。彼に、母親という役割から死ぬまで逃れられないことは重荷でも、喜びでもあると言った記憶がありますが、どうしてそういう話になったのか思いだせません。子育ては終わっても、母であることにゴールはない気はしませんか。仕事みたいに辞めたり、休暇をとったりできればいいけれど、そうもいかないし。子供に費やす時間や責任や労力がなければどれだけいいか(つまり、早く自立してほしい)と思うことはあります。でも、いつかそういう部分が自分の生活から消える日への恐れも感じます。そのときに母じゃなくなるわけではないので、遠く離れた人への心配だけが手元に残りそうで。

息子とはいろいろなことをよく話します。二人とも、夢中になると時間を忘れるので、困ったことになることもしょっちゅうです(遅刻とか、寝不足とか)。

 

ところで、陽子さんのパートナーは家のことを結構やってくれる人ですか? それとも、家族以外の人を頼れるシステムが上手く構築されているんでしょうか。仕事の量とかやり易さは、出産前といまで違いますか? スウェーデンは福祉がとても充実している気がしてしまうのは、思い込みでしょうか。

 

有里枝

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次回更新は4/13(金)の予定です。ガラス作家の山野・アンダーソン・陽子さんからのお返事です。