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DATE 2018.07.20

36『二十四の瞳』風邪気味の先生のために熱いうどん

子どもと一緒に読んで作って食べたい「おいしいおはなし」をご紹介。今日はひとりの先生と子どもたちのおはなしです。

子どもたちの目線と先生の目線を行き来しながら

『二十四の瞳』は、1928年から終戦直後までの約20年間の、ひとりの女性教員とその教え子たちの物語です。舞台は瀬戸内海沿いの小さな漁村。キラキラと輝く瞳で村の分校に入学した新1年生12人は、それぞれに境遇の違いや貧富の差を背負いながらも、懸命に自分たちの日々の中で成長していきます。そして、赴任初日、大石先生に「この瞳を、どうしてにごしてよいものか!」(P.27)と思わせた子どもたちは、やがて戦争に向かっていく時代の流れに飲み込まれていきます。その後ろ姿と幼い我が子の背中を重ね、大石先生は「そのかれんなうしろすがたの行く手にまちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば、人は何のために子をうみ、愛し、育てるのだろう。砲弾に打たれ、さけてくだけて散る人のいのちというものを、惜しみかなしみとどめることが、どうして、してはならないことなのだろう。(P.207)」と、心の中で悲痛な叫びをあげます。その悲しみや怒りに触れたとき、先生と一緒に子どもたちを見守ってきた読む人の心にも、鋭い痛みが走るのです。

そうやって強い戦争への抗議を表しながらも、このおはなしに戦争の直接的なシーンはありません。戦争に向かってゆく不穏な日々の中においても、子どもたちと大石先生の絆を深める、時にユーモラスで時に心温まるエピソードの数々が、明るく物語を彩ります。たとえば、物語前半のハイライトである、怪我をした大石先生を見舞いに行くエピソード。片道8キロを歩いて行ったものの、ゴールの見えない長旅に子どもたちはくたびれ果ててしまいます。

***

初秋の空は晴れ渡って、午後の日ざしはこのおさない一団を、白くかわいた道の真んなかに、異様さを見せてうしろからてらしていた。家へ帰りたい気もちはしぜんにあらわれて、知らず知らずあるいてきた道のほうをむいて立っていたのである。その前方から、警笛とともに、銀色の乗合バスが走ってきた。瞬間、十二人はひとつの気もちにむすばれ、せまい道ばたのくさむらのなかに一列によけてバスをむかえた。(中略)大石先生なのだ。

「わあッ。」

思わず道へとびだすと、歓声をあげながらバスのあとを追って走った。新しい力がどこからわいたのか、みんなの足は早かった。(P.79-80)

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そういった日常を描いたエピソードの中には、季節や時間で変わる瀬戸内海の表情や人々の暮らしの様子など眼に見えるもの、そして方言での会話や唱歌など耳に聞こえるものなどが丁寧に描写され、それぞれの情景はどれも自分の目に見え自分の耳に聞こえるようです。だからこそ、そこに生きる子どもたちや大石先生の喜びや悲しみも、読んでいる人の心を強く揺らすのだと思います。

大石先生が修学旅行先で風邪気味になってうどん屋さんを探すシーンも、風景や匂いや声や感情が響き合って、印象的なシーンのひとつ。関西方面では、風邪のひきはじめには熱いうどんが一番と昔から言われているそうで、ゆえに当時はうどん屋さんで風邪薬も売られていたそうです。この風邪薬、実は今も薬局で販売されています。お盆に一服添えて、夏風邪ひきさんにしょうがたっぷりの熱々うどんをどうぞ。

『二十四の瞳』壺井栄著(ポプラ社)物語は昭和3年(1928年)の4月、瀬戸内の小さな漁村の分校の新学期。新任の大石先生と新1年生の出会いから、物語は始まる。村の人々は気難しく、自転車で洋服で登校してくる大石先生はなかなか理解されないが、その颯爽とした明るい存在感は子どもたちの心をしっかりと捉えた。1年生の12人が高学年になり、本校にあがり、やがて卒業していくうちに、時代は戦争へ向かっていく……。戦争が終わり、大石先生は教職に戻り分校に就任すると、名簿には懐かしい苗字が並んでいた。