7月某日。快晴。
東京都現代美術館にて『翻訳できないわたしの言葉』展を鑑賞してきた。当たり前のように皆が同一言語を話している(と思われている)日本社会で、異なる言語への気づき、言語で伝えきれないものに目をむけるための映像作品が展示されていた。
母国語ではない言語で、海外で生きる者として日々抱える葛藤、そして自分の息子が将来抱くであろう葛藤に、正面から向き合う時間だった。フランス語では心の機微を表現することどころか、日常的なコミュニケーションでもどかしい思いをすることもいまだにある。
異なる言語は、新しい世界への希望の扉だと思う。でも、言語の波間をたゆたう自分の「言葉にできない(できなかった)わたしの言葉」とも、もっと親密でありたい。他人を理解するとき、その人の「わたしの言葉」を深く汲み取り、寄り添える人でありたい。そう強く願いながら美術館を後にするとき、ふと、花はきっと、それを乗り越えられるのではないかと思った。この小さな思いつきは希望の灯火となって、心をゆっくりと温めた。
7月某日。晴れ。
早起きして家を出発。息子の希望で蒸気機関車に乗り、長瀞駅に到着した。長瀞では、有名なラインくだりをする。船頭の軽妙な話し口はまるで落語を一席聴いているかのようだし、竿捌きも見事だ。滑るように川を下りながら眺める岩の断層や滝は美しく、時折あらわれる急流を越えるときに水飛沫がかかると息子も大はしゃぎだ。
下船してから、コシのある蕎麦に舌鼓を打ち、三温糖のかき氷で涼んだ。すっかり日本の夏らしさを満喫して駅まで戻る道すがら、煎餅屋の軒先に燕の巣を見つけた。祖母に買ってもらった煎餅を燕の子たちにお裾分けしようと懸命に腕を伸ばす息子が微笑ましく(しかしもちろん、燕は煎餅を食べられないのだと説き伏せて)、そういえば昔、自身が幼い頃に住んでいたマンションにも燕が巣をこしらえた年があり、毎日様子を見に行っていたことを思い出す。私自身も幼少時代に戻ったような懐かしさの中、帰りの電車では眠ってしまった。
7月某日。快晴。
パリでは、子どもが習い事を始めるのは4歳からというのが一般的だ。一定の時間、先生の話に耳を傾けられるようになる年齢ということらしい。9月から新学期が始まる前に、東京にいる間、息子が興味を示した体操やスイミングの体験に積極的に参加している。もじもじするかと思いきや、息子はどの体験教室でも元気いっぱいに参加していたので驚いた。息子だけでなく、好きなことを目の前にした子どもたちの顔はこちらが圧倒されるほどに輝いていて、彼らは何者にもなれるのだと思う。そして、彼らが羽ばたける社会を私たちは築いていけるだろうかと考えを巡らせ、奮い立たせる。
7月某日。快晴。
清澄白河のtenへ向かう。逃げ場のない陽射しに思わず飛び乗ったタクシーの運転手に、行き先を告げ、少し世間話をする。この辺りも随分とお洒落になりましたよねと言い合い、車を降りるとき、日陰を選んで隅田川沿いを歩けば風が気持ちいいよと教えてもらう。
tenでは、以前から花器を愛用している陶作家・鏡原愛莉さんの個展が開かれていて、彼女自身も在廊していた。作る器と似て、柔らかさと芯の強さ、そして情熱を感じる女性だった。ちなみに、tenの店主は東東京出身だそうだ。中川、荒川、小名木川。水に親しみのある地域で育ったから、隅田川のゆらぎが落ち着くのだと話してくれた。私も同じことを感じていたから、深く頷く。隅田川とセーヌ川が同じなんて言ったら、笑われてしまうかもしれないけれど、故郷を遠く離れてもなお、川のそばで、暮らしの匂いが残る街に惹かれるのだ。
7月某日。晴れ。
NHK「あさイチ」の本番の日を迎える。3度目となるが、生放送なので毎回ものすごく緊張するのだけれども、始まってしまえばあっという間に終わる。
花業界の中でも割とニッチなところに身を置いている日常とは打って変わって、多くの人にわかりやすく伝えることを前提に、いつもとは違った切り口から花と向き合う経験は、自身の視野を広げられる貴重な学びになっている。
7月某日。快晴。
祐天寺で、POP-UPイベントとワークショップを開催した。数年ぶりになるワークショップでは、ブーケとアレンジメントを通して、パリのトレンドのスタイルを紹介した。教えるといってもそこに正解があるわけではないので、花との向き合い方や、表現方法を伝えることに徹する。参加してくれた方々は皆熱心に話を聞いてくれ、同じように花を愛する仲間と時間を共にできる嬉しさに自然と笑みが溢れる。
暑い中、花を買い求めに来てくれる一人一人と話すことができ、濃密な二日間だった。
[今月の花]ひまわり
夏の代名詞、ひまわり。東京の市場には多様な品種のひまわりが出ていた。中でも気に入ったのは、新品種の「ダージリン」。まさにダージリンティーのような色合いで、八重の花弁が華やか。全く新しい印象だ。数種類のひまわりをばさっと生け、鶴梅擬をあしらえば、見るだけでも楽しくなる夏の花活けになる。
一方で、自分の中のひまわりといえば、パリの郊外に出る列車の車窓からよく見る、背の高さほどもあるひまわり畑が一面に広がる景色だったり、ゴッホの描いた半熟卵のような色の絵だったりもする。きっと誰しもが、それぞれのひまわりの記憶を持っているのだろう。
守屋百合香
パリのフローリストでの研修、インテリアショップ勤務を経て、独立。東京とパリを行き来しながら活動する。パリコレ装花をはじめとした空間装飾、撮影やショーピースのスタイリング、オンラインショップ、レッスンなどを行いながら、雑誌などでコラム執筆も。様々な活動を通して、花やヴィンテージを取り入れた詩情豊かなライフスタイルを提案している。
Instagram:@maisonlouparis
MAISON LOU paris