LIBRARYパリ暮らしの言葉ノート2026.04.04

cahier de vocablaire パリ暮らしの言葉ノート Vol.7 — 守屋百合香

パリでフラワースタイリストとして活躍する守屋百合香さんが、日々の中で出会ったり使ったりするフランス語の単語をキーワードに綴るエッセイ。暮らす人ならではの視点や嗅覚で、パリの空気やフランスの文化を切り取ります。もちろん、フランスの花事情にも注目。各単語の後ろのn.m.は男性名詞の意味、n.f.は女性名詞の意味。

pause (n.f.)(ポーズ)[休憩]

週に一度、息子の日本語学校を待つあいだの90分。周辺にお気に入りのカフェを見つけ、暗い冬のあいだは、たいていそこで本を読んでいた。ようやく暖かさが増してからは、セーヌ川のほとりに降りて、日向に腰を下ろし、川を行き交う観光船を眺めながら過ごすことが増えてきた。
しかし先日、寒の戻りで突然冷え込み、雹まで降ってきて、全身ずぶ濡れになってしまった。震えながら思い出したのは、友人に教えてもらった徒歩5分のフォーの店。ポンヌフ橋からシテ島へ渡って駆け込むと、立ち上る湯気に頬が緩む。中途半端な時間にもかかわらず、店内はほぼ満席で、同じように一人で座る客の姿もちらほら見えるのが心強い。思いがけずありついたフォーの熱いスープが、凍えた身体をゆっくりと芯までほぐしてくれた。食べ終えるのが惜しく思えて、人生で初めてフォーの替え玉を頼んでしまったほどだ。日本に一時帰国するときには、ラーメン屋や蕎麦屋に一人で訪れるのが醍醐味のひとつだが、パリには「おひとりさまフォー」という密かな贅沢があったのだ。店を出る頃には雨も上がり、まだ身体に残る温もりを反芻しながら息子を迎えに戻った。

usage (n.m.)(ユサージュ)[用途]

ブロカントを覗いていると、ときどき用途がわからない道具に出会う。とくに食にまつわるものが多く、たとえばエスカルゴ専用の皿、アスパラ専用の鍋といった具合で、店主に聞いてみて初めて合点がいく。
日本ではひとつの道具を多用途でつかうことに慣れており、それが生活の美学でもあると思うのだが、対してフランスではこだわりが強く、ほとんどの食材に専用道具が存在しているのではと驚くほどだ。我が家にはそういった専用皿はないのだが、強いて言えば、友人の陶芸家から買ったエッグスタンドがある。ただのゆで卵が、食卓で適切な居場所を得るだけで、朝食の風景が整い、豊かになる気がする。さらに、ブロカントでみつけた塩専用のちいさなスプーンで、ひと匙のトリュフ塩をかければ、朝食の時間がすこし特別なものにさえなるのだ。
しかしその陶芸家は、地方ではレモンスクイーザーが売れ筋なのだがパリでは全く売れず、売れるのは小さなエッグスタンドばかりと笑っていた。パリの家は狭すぎて、収納場所がないからだという。そう言われると納得しつつも、そうやって次第に台所から姿を消し、ブロカントでしか見ることのない道具が増えていくのだろうかと想像すると、どこか物寂しい。

jardin (n.m.)(ジャルダン)[庭園]

ちょうど冬時間から夏時間に変わった日、息子と一緒に植物園へ出かけた。アトリエの近所のおばあちゃんが、芍薬が見頃だと教えてくれたのだ。植物園の敷地は広大で、植栽が自然史博物館までまっすぐに続く。芍薬は、教えてもらった通り入り口から脇に入ったちょっと目立たない場所にあった。ランジス市場ではまだ2種類ほどが出始めたばかりだが、ここでは多くの品種がすでに開花していた。
進んだ先では、2本の桜の巨木が満開を迎え、人々が集まっている。日本で桜といえばソメイヨシノだが、パリではぽってりしたピンクの八重桜が主流だ。長い冬を抜けて、空の青さが眩しい日曜日、そぞろ歩く人々の表情がみな明るく、喜びに満ちている。園内のベンチは、陽の当たる席から埋まっていく。昼間からワインを飲む人、寝そべる人、ピクニックを楽しむ人も多い。迷いなく春を享受しに出かけ、誰を気にすることもなく謳歌する。この国の、こういう空気が、私はとても好きだ。
私たちも、ぶどうやお菓子、コーヒーを持参していたので、景色のいい日向のベンチを息子と吟味し、桜を眺めて過ごす。途中で、近くに住む友人も合流した。彼女はクロワッサンや苺のタルトなどを持ってきてくれて、おかげで一気に華やいだ。
夕方、すこし肌寒くなり、腰を上げて園内を散歩する。りんごやエルダーフラワーの花木に顔を近づけて香ったり、植栽を見て歩きながら珍しい品種の名前を確かめたり。市場で見る切り花との違いも興味深い。花たちがカラフルで、のびのびしているので、歩くだけで気持ちが上がり、声がうわずった。そういえば、もうしばらくすれば、奥にあるばら園が綺麗なころだから、また来ようねと言い合って別れる。いい頃合いだったので、夫の職場まで自転車で迎えに行き、そのまま外食して帰ろうと息子とたくらんで、長い坂をのぼっていく。息子は拾った花や小石を大切に握りしめたまま、自転車の後部座席でうつらうつらし始めていた。

viburnum (n.m.)(ヴィブルナム)[ビバーナム]

ビバーナムが市場に出てくると、何気なく手に取ってしまう。私にとっては、「パリへの憧れ」を象徴するような花だ。パリのフローリストに憧れ、念願だった研修生時代。食い入るように見つめていたトップフローリストたちの手から生まれるブーケ・シャンペトル。ビバーナムや小手毬といった枝物が、彼らの手にかかれば光と風を味方につけていきいきと踊りだす、まさに魔法だった。気を衒わずとも心に残る、野趣あるブーケは、私にとって、いつまでも美しいと思う原点でもある。ビバーナムの茎をナイフで削いで白いワタを取り除いたり、葉を間引いたりする下処理は研修生の仕事だったが、今振り返れば、それもかなり覚束なかったと思う。フローリストとしても生活者としても赤ちゃんだった、ただひたすら情熱だけを支えに必死だった時代の自分。恥ずかしさで目を覆いたくなるが、痛々しいほど純粋だったし、周りにはいつも手を差し伸べてくれる人がいて、あたたかい場所だった。揺れるビバーナムを前に、あの頃よりもすこしは成長できただろうかと自身に問う。

フラワースタイリスト
守屋百合香

パリのフローリストでの研修、インテリアショップ勤務を経て、独立。東京とパリを行き来しながら活動する。パリコレ装花をはじめとした空間装飾、撮影やショーピースのスタイリング、オンラインショップ、レッスンなどを行いながら、雑誌などでコラム執筆も。様々な活動を通して、花やヴィンテージを取り入れた詩情豊かなライフスタイルを提案している。
Instagram:@maisonlouparis
MAISON LOU paris

Text&Photograph: Yurika Moriya

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