私がジェンダーニュートラルな子育てを始めたわけ
ジェンダーやセクシュアリティを専門としたジャーナリストで活動家のアリーヌ・ロラン=メイヤール。彼女はフランスで、ジェンダーによる既成概念やルールにとらわれない子育てを実践している。彼女に、まもなく2歳となる子、ジョーとの試行錯誤の日々や子育てへの思いを綴ってもらった。
かれこれ2年以上前に、私は『MilK MAGAZINE』(フランス)に「Theybies」というタイトルで記事を執筆した。「Theybies」とは女の子や男の子の区別なく育てられる子どもたちのこと。当時の私は妊娠中で、生まれてくる子どもにはジェンダーの枠にとらわれずに生きてほしいと願っていた。また、その記事を書くことで、子育てについて何かしらの答えが見つかるのでは? という期待もあった。ジェンダーやLGBTQ+の専門家として、伝統的なジェンダーのバイアスから子どもを守り、個性や自分らしさを自由に発揮できる環境を作ってあげたい。それと同時に、男の子に人形を与え、女の子に勇敢なプリンセスの物語を読むだけでは不十分だということも理解していた。私はその先に進みたかったのだ。
性別を問わない名前を持ち、中性的な代名詞「they」を使って呼ばれる英語圏の赤ん坊たち「Theybies」。調べれば調べるほど、当時の私はそのことで頭がいっぱいになった。本人だけでなく、親戚や託児所、できれば役所にも(ノンバイナリーな身分証明書万歳!)性別を明かさないことで、子どもたちをジェンダーの縛りから解放し、自ら性別を決めるように導いていく新しい子育て法だ。そうした子どもたちは主に4〜5歳で、受け身ではなく自らアイデンティティーを決めるという。なんて素晴らしい考え方だろう! 一方で私は、どうやってこのフランスでそんな子育てを実践できるのか見当もつかなかった。この国では「彼(il)」と「彼女(elle)」を合わせたインクルーシブな代名詞「iel」が登場したものの、フランス語に対する深刻な脅威だと批判されている。そもそもすべての名詞に男性/女性の区別があり、主語の形容詞や過去分詞が変化するフランス語においてどう使えばよいのか、ほとんど誰も分かっていないのだ。
言語の難しさはさておき、私は子育てそのものへの不安があった。シングルマザーとなる私は、親戚や友人の助けを借り、託児所に預けながら子育てをすることになる。もし私以外の人がオムツを替えたら、その瞬間から私の子は性別で分けられてしまう。
大人は性別を意識して子どもに接している
当時の私は、英語圏でジェンダーニュートラルな子育てを提唱する親たちの意見を参考にするつもりだった。でも、そこには私が求めていた答えはなかった。それゆえに、私は自分を信じ、自分の直観に従うことに決めた。それがどんなに手探りの日々であっても……。そうして私は最愛の子を出産した。そして記事を執筆してから2年以上の月日が流れた。ジョーは現在1歳10ヶ月。乳歯は生え揃い、最近はカメに夢中。食欲も人生に対する欲求もあふれんばかりだ。だからこそ今回は、以前は答えが出なかった事柄について、これまでの経験を踏まえて書き記したいと思う。
この2年の間に誕生したものがもうひとつある。私のジェンダーニュートラルな子育ての日々を語った新たなポッドキャスト「ようこそ赤ちゃん(Bienvenue bébé)」だ。赤ちゃんが人生のスタート地点からどのようにジェンダーを知り、社会における意味を理解していくのか私なりに観察し、すべてを記録しておきたかったのだ。
子育てを始めてからすぐに、予想を裏づけるような出来事に何度も遭遇した。大人は意識的であろうとなかろうと、赤ちゃんの性別によって話しかけ方やあやし方を変えている。そのことが赤ちゃんに影響を与え、さまざまな興味や嗜好を抑圧することにもつながっているはずだ。
私は人工授精を試みる前から、周囲に子どもの性別は明らかにしないと決めていた。ジェンダーのバイアスからわが子を守りたい。だからこそ中性的な「ジョー」という名前を選び、生まれた時からユニセックスな服を着せた。呼び方も「私のジョジョ」「私のジョジョネット」「めんどりちゃん」「ネコちゃん」などさまざま。「彼」「彼女」といった代名詞は使わず、なるべく名前を使って話すように心がけた。最初は多少ぎこちなかったけれど、その話し方にもだんだん慣れてきた。
すると想定通りのことが起きた。ジョーに出会った人は決まって私に性別を聞いてくるのだ。私は同じような子育てを実践している親たちに相談をし、どう対処すればいいのか少しずつ学んでいった。「まだ分かりません」「ジョーがそのうち教えてくれるでしょう」「どうぞお好きに話しかけてください」というように状況に応じた答え方も身につけた。時にはいろいろ言われるのが嫌になって、身分証明書に記された性別の代名詞を使うように伝えることもあった。でも最近は、そうした機会はめっきり減った。ジョーはもうすぐ2歳。あえて性別を聞いてくる人はいなくなった。誰もが服装を頼りに男の子か女の子か判断し、私もいちいちそれを訂正しない。結局、あらゆるバイアスをかけて見られるのだから。
わが子が既成概念にとらわれないように
もちろん、そうした取り組みだけではジェンダーにとらわれない自由を謳歌することはできない。外出先や公園で子どもを守ることはできても、親戚との関わりや託児所においては通用しないこともある。けれどもポッドキャストの回を重ねるうちに、私はある大切なことに気づかされた。わが子がジェンダーやさまざまな既成概念について自ら考え、探求できるように導いていくことが重要なのだと。
そもそも子どもたちは、社会の枠組みを通して自然にジェンダーの概念を身につけていく。親を「パパ」「ママ」と呼ぶことで性別を認識し、トイレ、スポーツ、服装などあらゆる場面で男女に分けられる。次第に「性別」とは重要な指標に違いないと思い始め、挙げ句の果てには男の子と女の子は正反対の存在だと思い込んでしまう。そうした色眼鏡で世界を見るようになった子どもたちは、いかなる場面でも性別の違いを意識し始める。そして時には、奇妙なロジックさえ登場するのだ。「私は女の子、スパゲッティが好き。女の子はみんなスパゲッティが好き。女の子と男の子は違うから、女の子がみんなスパゲッティを好きなら、男の子はみんなスパゲッティが好きじゃない」のように。
ジョーにはそうした先入観や思い込みにとらわれず、ジェンダーの檻に閉じ込められずに生きてほしい。ゆえに私は、性別の違いよりももっと大事なことがあると示そうとした。少なくとも私にとっては……。日々の生活の中で性別による偏りをなくすため、さまざまなタイプのおもちゃや衣服を用意し、話し方も変えた。「女の子」や「男の子」と言わずに「子ども」と言い、男性名詞を使うのではなく中性的な言い回しを心がけた。たとえそれが新しい言葉を生み、多少ぎこちない話し方になったとしても。
経験を分かち合いながら社会を変えていけるはず
私はやりすぎなのか? それとも足りないのか? この2年間、私は何度も不安に駆られた。ジョーは孤立していないだろうか? はたまたジェンダーの檻に閉じ込められてはいないだろうか? でもありがたいことに、私の周りには相談できる研究者たちがいた。彼、彼女らも子を持つ親たちだ。特に信頼するガブリエル・リシャール、マルタン・パージュ、レネ・グルザール※の3人と話し合うことで、私は自分自身を思いやれるようになった。間違ったやり方などない。大切なのは、ジェンダーだけが世の中を分ける規範ではないことを親が示し、社会の多様性を教えること。批判的な思考を養えるように導くこと。そしてフェミニストな親である私は、自分の声に耳を傾けるべきだと気づかされたのだ。
これまで私は、さまざまな情報を集め、信念に基づいて行動し、自分の言語に正面から向き合ってきた。そうした日々を通じて、今は未来を楽観視できている。わが子がこれから生きる社会は、私が育った時代よりもずっと公正で実り豊かなはずだ。性差別による暴力はきっと減っていくだろう。もちろん私だけの力で男性上位な社会を覆すことはできない。けれどもポッドキャストを通じて、同じような悩みを抱えている人がたくさんいることを知った。子どもたちをジェンダーの縛りから解放するため、みんなが同じように試行錯誤しているのだ。私たちは励まし合い、助け合い、経験を分かち合いながら社会の精神やシステムを変えていけるはずだ。性差別や男女二元論と闘い、性差別的な広告に反対し、保育研修を充実させるための予算や法の整備を訴えていけばいい。まずは声を上げよう。そうした希望の光が私の心を癒やし、良い親となれるよう導いてくれるはずだ。
※ガブリエル・リシャールは社会学者・作家。マルタン・パージュは作家。レネ・グルザールはジャーナリスト。
Photograph:Flavia Sistiaga
Text:Aline Laurent-Mayard
Translation:Kumi Hoshika
Edit:SachikoKawase