『アフター・ヤン』(10/21公開)美しい映像で描く家族の記憶の物語
『アフター・ヤン』の監督のコゴナダは、小津安二郎の影響下にあることで知られています。その彼の新作はまるで「小津が撮ったSF映画」のような作品。
舞台は近未来。「テクノ」と呼ばれるAIロボットが普及していて、子育てなどの一般家庭における補助的な役割を果たしています。茶葉の専門店を経営するジェイクとその妻のカイラ、そして彼らの養女であるミカにとって、アジア人の風貌を持つ「テクノ」のヤンは重要な存在です。白人の父と黒人の母、中国系のミカを“家族”として結びつけながら、ミカにアジア系としてのアイデンティティーを持たせる役目も負っています。ミカにとってヤンは単なる子育てロボットではなく、兄にも等しい相手なのです。
ところが、そのヤンが突然に動かなくなってしまう。ジェイクはヤンの修理のために奔走します。中古品で、かつては他の家族に従事していたこともあるヤン。その来歴にも故障の理由がありそうです。探っていくその過程で、ヤンの内部に一日ごとに数秒の動画を記録するパーツが備わっていたことが判明します。その動画を再生したジェイクが見たのは、切れ切れの家族の記録。ヤンの目を通して、過ぎゆく日々が愛おしく、貴重なものとして蘇ってきます。
まだ機能していた頃のヤンにジェイクが茶葉の魅力について語るシーンが印象的です。お湯の中でゆっくりと茶葉が開き、芳香や風味が広がる様子は、失われた時間が思い出として立ち上がっていく過程に似ています。ミカだけではなく、ジェイクやカイラの中でも惜別の思いが湧き上がり、その思いとヤンが自分の心の中でシャッターを押した瞬間の数々を分かち合い、残された三人の家族としての絆は強いものになっていきます。
ここでは記憶の共有が、血のつながり以上に家族にとって大切なものとして描かれています。そして、それを教えてくれたヤンはもういない。かつての彼はロボットとして家庭内で有益な存在として重宝されていたかもしれません。動かなくなって、彼はジェイクたちにとってそれ以上のものになりました。不在によって、家族の一員としての彼が見えてくる。切ない物語です。
山崎まどか
15歳の時に帰国子女としての経験を綴った『ビバ! 私はメキシコの転校生』で文筆家としてデビュー。女子文化全般/アメリカのユース・カルチャーをテーマに様々な分野についてのコラムを執筆。著書に『ランジェリー・イン・シネマ』(blueprint)『映画の感傷』(DU BOOKS)『真似のできない女たち ——21人の最低で最高の人生』(筑摩書房)、翻訳書に『ありがちな女じゃない』(レナ・ダナム著、河出書房新社)『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』(サリー・ルーニー、早川書房)等。
Text: Madoka Yamasaki
Illustration: Naoki Ando