全速力で走る先に少女が求める家族とは『コット、はじまりの夏』(2024)
舞台は1980年代のアイルランド。九歳の少女、コットの暮らす家は子沢山。生活は楽ではありません。父のダンは競馬などのギャンブルに入れ上げていて、家庭内の雰囲気は荒んでいます。他の姉妹と比べて、コットは内気で寡黙。家族との関係も上手くいっていなさそうです。
母親がまた出産間近と言うことで、コットは一人、母方の親戚の農家に預けられます。無神経な父親が彼女の着替えが入っているカバンを車から下ろさないまま帰ってしまったので、コットは預けられたキンセラ家に置いてあった男の子の服を当てがわれます。
農村の素朴な暮らしが美しく描かれている、まるで絵本のような映画です。コットは牛舎の掃除や、赤スグリのジャム作りを手伝い、少しずつキンセラ家の生活に慣れていきます。おとなしいだけではなく、滅多に笑わない少女です。明示されてはいませんが、彼女は実の家族からネグレクトされているだけではなく、虐待を受けているのではないかと示唆するような場面もあります。
沈黙の中に秘密を隠しているのは、コットだけではありません。キンセラ家の優しいアイリンも、ぶっきらぼうで当初はコットに冷たかったショーンも、実は悲しみを秘めていたことが明らかになっていきます。コットとこの二人の間に芽生える愛は、凍っていた心がゆるんで流れ出した雪解け水のように清純なものです。コットのような少女にとって、ここは一時的な避難所ではなく、夢でも見たことがなかったような温かい居場所。遠慮がちではあるけれど、ようやく笑顔も浮かぶようになります。
しかしその笑顔も、夏が終わって実家に帰されると、はかないロウソクの炎のように彼女の顔から消えてしまいます。
観客の解釈の余地を残すようなラストですが、はっきりしているのは、今まで全てを我慢して内に秘めていた少女が、愛を知って変わったということ。コットの走っていく先には、血のつながりと関係のない、彼女が求めている本当の家族の姿があります。
山崎まどか
15歳の時に帰国子女としての経験を綴った『ビバ! 私はメキシコの転校生』で文筆家としてデビュー。女子文化全般/アメリカのユース・カルチャーをテーマに様々な分野についてのコラムを執筆。著書に『ランジェリー・イン・シネマ』(blueprint)『映画の感傷』(DU BOOKS)『真似のできない女たち ——21人の最低で最高の人生』(筑摩書房)、翻訳書に『ありがちな女じゃない』(レナ・ダナム著、河出書房新社)『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』『ノーマル・ピープル』(共にサリー・ルーニー著/早川書房)等。
Text: Madoka Yamasaki
Illustration: Naoki Ando