A Sense of Wonder 扉の開け方「運動と出会う時」
——子どもの世界は、驚きや不思議にあふれています。日々、子どもたちはそれらの扉をひとつひとつ開け、自分なりの解を得ながら成長していきます。その 扉を子どもはどうやって見つけ、また開くのか? その時、大人はどう寄り添う? 今回は子どもと運動の出会いのこと。発育発達学者の中村和彦さんは、子どもは遊びを通じて運動習慣や体を動かす喜びを育むのだと言います。その機会を作りだすために、大人が理解しておきたいことを聞きました。——
みなさんは「sport(スポーツ)」の語源をご存じですか?その由来はラテン語の「deportare(デポルターレ)」という単語です。意味は「運び去る」。転じて「日常から離れる」すなわち「気晴らし」や「遊び」のことを指しています。
子どもの運動との出会いは、まさしく「遊び」から始まります。しかしわが国では、1970年代後半から「遊び」が消失し始め、代わって子どもを対象とする競技スポーツが普及し、「運動=スポーツ」という考え方が定着し、今日に至っています。
しかしながら、そのように幼少年期に特定のスポーツを、しかも勝つため、記録を出すために行うことは、子どもの発達段階にまったく見合っていません。
幼少年期の子どもにとって、運動遊びは生活の主体であるとともに、
①動作の習得や運動能力といった「身体運動の発達」
②思考力や判断力といった「認知的な発達」
③コミュニケーション能力や表現力といった「情緒や社会性の発達」
という、まさしく「生きる力」を育むために欠くことのできない成長の場であると言えます。特に幼少年期において、「身体運動」「認知」「情緒・社会性」という3つの発達領域は、それぞれが独立して獲得されていくのではなく、お互いに関係し合い補い合いながらその能力を発達させていく“相互補完性”という特性を持っています。
さらに子ども時代に、自ら面白くのめり込む運動遊びの習慣を持つことは、さまざまな資質・能力を育むのみではなく、大人になってからの身体活動の習慣化に持ち越され、「運動しようとする力」「運動し続ける力」を生みだし、生涯を通しての健康に大きく影響すると言えます。
遊びは、教えること、指導することができません。指導することで、遊びの中に存在する、自主性、自由性、創造性がなくなってしまいます。「面白くのめり込む」「居心地の良い」「自ら」といった遊びの要素が消失してしまうのです。 ドイツにはプレイリーダー、イギリスにはプレイワーカー、オーストラリアにはプレイデリバラーという、子どもの遊びを先導する、子どもに遊びを届ける大人が、幼稚園、学校、地域などに存在しています。運動技能の指導やスポーツの勝敗にこだわる日本のインストラクターやスポーツ指導者とは異などもを育むこと、そのためにプレイリードするり、「遊び時間」「遊び空間」「遊び仲間」という遊びを成立させる3つの「間」と子どもの遊びを保障する存在です。
具体的にプレイリーダーとは、運動が苦手な子どもや運動が嫌いな子どもも含め、すべての子どもに、それぞれの発達段階に見合った伝承遊びやゲーム遊びなどを提供し、体を動かすことの面白さを伝える役割を担っています。
近年わが国においても、文部科学省(スポーツ庁)が推奨し、多くの外郭団体や自治体、企業、NPOなどが主体となり、このような「プレイリーダー」の養成と「プレイリードの考え方」の普及が始まっています。私は、こうした「プレイリーダー」の養成と「プレイリードの考え方」の普及こそが、日本の子どもたちが健やかに育ち、大人になってからの運動の持ち越しにつながるものであると確信しています。私たち大人は、子ども時代に遊びにのめり込み、おいしくご飯を食べ、ぐっすり眠って育ちました。そうやって私たちが子ども時代に経験したこと、学んだこと、感じ取ったことを、今の子どもたちにも、経験し、学び、感じ取ってほしいと願っています。
運動遊びに夢中になりのめり込んでいく子どもを育むこと、そのためにプレイリードする ことの大切さを認識すること、それが今の日本を生きる私たち日本の大人の責務ではないでしょうか。
中村和彦
発育発達学者。山梨県甲府市生まれ。子どもの心と体の問 題についての研究を継続し、一貫して遊びの重要性を唱えている。文部科学省、スポーツ庁、日本スポーツ協会などの仕事に取り組むとともに、「ブンバ・ボーン!」「パプリカ」などのダンス監修を務める。山梨大学教育学部長、同理事・副学長を経て、2023年4月より国立大学法人山梨大学学長。
Text: Kazuhiko Nakamura
Illustration: Yuki Maeda