Lifestyle magazine
for modern family

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DATE 2018.12.01

11 新しい景色

グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが、妊娠して日々変化する体から、今まで見えなかったことに日々出会い、新陳代謝していく景色を綴るエッセイ。
「“絶対”なんてないと思ってたけど、”絶対”ってあるんだねえ」と夫が言った。私もそう思った。血まみれでデュルンと出てきたこの子は、助産婦さんに手際よく措置をされ、私の胸元に来て、5日間病室を共に過ごし、準備した小さな服を着て、今は私たちの家におり、3500gで産まれてきたといえども頼りない小さなその子を抱きながら、夫はしみじみとそう言った。
 出産から1ヶ月経つ。私も夫も育児のためにしばし自宅で仕事をする働き方に変えたため、ひとまずこの1ヶ月間は朝から朝まで、育児&仕事を綱渡りしているような感じ。ひたすらに、うんち、おしっこ、おっぱい、大泣き、抱っこ、睡眠、おっぱい、うんち、おしっこ。生理現象をただひたすらに24時間繰り返し、それにより発生する洗濯掃除食器洗いに常に追われると、これら以外のことをする余地が驚くほどにまったく無く、仕事は本当に細い隙間のなかでしか手をつけられない。こんなにも東京の家で、朝昼晩としっかり食事をし、差し込む日光の動きの全てを浴び、夜の暗さをしっかり暗いまま過ごすのは初めてのことで、子と猫と私と夫の暮らしは、濃厚で単純で緻密に毎日を繰り返し、時に結構な喧々諤々を繰り広げるが、しかしその毎日には、今まで知りえなかった幸せが中心にある。見ているだけで甘い気持ちにさせ、その表情に一喜一憂させられてしまうこの子は、毎日ころころと新しい表情を見せながら毎日まりまりと大きくなるので、あっという間に新生児という時間とはさよならなんだろなと思うと今からすでにちょっと寂しくもあるけれど、いや新生児という時期どころかあっという間に大きくなり、私たちの手を離れて巣立っていく日があっという間に来るのだろう、その頃のこの子はどうなっていて、私たちはどんな親になっているのだろうか。
 お産からヨタヨタと戻った直後の病室で。私はぐったりとベッドの上、妊娠中はあれだけ重くて苦しくて寝られなかった仰向けで寝ていることへの違和感と、数時間前までわたしのお腹の中にいたものが隣で小さな吐息をしているという大きな奇跡で、シンと薄暗い部屋がいっぱいになる。静かに寝ているふにふにしたこの子は、「この子」というよりも「いきもの」らしさを纏っていて、頼りなさと健気さと同時に感じるこの命の逞しさをじいっと見ていると、静かな奇跡を目撃しているようで、じんわり勝手に溢れ湧いてくるのは、ありとあらゆる涙のような感情だった。産まれてきてくれたこと、産むことができたこと、自分も産まれてきたものであること、今もだれかが産まれてこようとしていること、今も昔も東も西も世の全てのいきものの存在がこうして産まれてきたものであること、そして産まれなかったもの、産めなかったもののこと。そういったことが、ぐるりとこの子に詰まっていた。だけどこうして目撃されているこの命は、まだ私のことを誰なのか認識していないし、果たしてここが何処なのかを分かっているわけもないし、これまで10ヶ月間暮らしていた羊水の中の環境とは全く異なるこの世界に放り出されたわけで、そう思ったらなんだかこんなに小さな横顔からでも、しっかりと個の孤独を感じるのだった。子を産む前は、産んだら私はその子を自分の分身のように思ってしまうのかしらと思ったけど、そんなことはない、血が繋がっているとは言っても私は私で彼は彼、それはこんなにちいさな子であってもどんなに熟した老人であっても、産まれてからどこまでいっても人はみな普遍的に孤独をもつんだなと、当たり前のことを小さな横顔に思った。と同時に、この子がふと孤独を感じた時にはそれでもやっぱりひとりじゃないんだと思えて欲しいし、この子がそう思えるくらい、私はたくさんの愛情をこの子にそそぎたいと、薄暗い病室で強く強く思った。
5日間の病室では、毎日子宮から出て来る大量の血みどろな悪露(おろ)や、大きく広がった骨盤がガタガタで抜けそうな痛み、チョキンと会陰切開しそれを縫合した痛み、800倍だった子宮が急激に伸縮し始め臓器が元の位置に移動する痛み、張り始めた胸の痛み、リウマチのような関節痛、見た事ないほどにパンパンにむくんだ足の痛みなど、こんなに産んだ後がしんどいなんて聞いてない!と突っ込みたくなるような様々な痛みを携えながら始まった育児の一連の営みで、毎日が満杯。そしてそれは何もかもがはじめてで、何もかもが不安。だけどこの子を見れば、何もかもが素晴らしく、何もかもが愛おしくて、そのことにいちいち涙する。世の母親というのは、こんなにたくさんの痛みと喜びを経験していたなんて、知らなかった。
日々をひとつひとつヨタヨタと重ねながら、毎日の朝から朝が繋がって、あっという間に迎えた退院の日。準備した新品のちいさな服は、私が妊娠中に体調がしんどくなるとその服を取り出してはまだ見ぬ未来に希望を見出してきたのだけど、ついにそれを着せたとたんに、フニフニのいきものはすっかりこの世界に強引に仲間入り、血まみれの裸ん坊の時に纏っていた神聖さが洋服に隠れた。デュルンと出て来たときのことを思い返す。ああやって毎日血まみれの赤ちゃんを取り出すことが、医師と助産師にとっては普通の毎日の仕事だなんて、なんて尊い労働なんだろう。友人の写真家が妻の出産に立ち会い「自分も彼らと同じ緊張感でシャッターを切ろうと思った」と言っていたことを思い出すが、その気持ちに激しく同意しつつも、あんな尊い緊張感に果たして私の労働は到達できるのだろうかと想像するに、俗から逸脱した領域のものを生み出さない限り到底無理じゃないかとも思う。そういえば「うみだす」という言葉の重みも、自分の中でまるっきり変わったな。
子は車にセットされた新品のチャイルドシートに乗せられ、我が家に向かう。いつもの見慣れた車のなかに、未だ見慣れぬ子が乗っている。すっぽり空いた穴を埋めるかのようにこの子が産まれてきたのか、それともひとつ増えるかのようにこの子が産まれてきたのか分からないけれど、大袈裟でもなんでもなくこの地球にひとり増えた。1週間ぶりに家に帰る車の窓から目に入る景色は、いつもと同じなのに、全て新たな景色になっていた。
この1ヶ月間。私と夫とこの子と猫の四人暮らしが待ったなしの手探りで始まり、慣れてきたこともあれば、未だリズムがつかめないこともある。「喧々諤々」という言葉は便利だ、蓋を開けてみたら物凄いことになってるのに、多くは何も見えない。こわやこわや。子を連れて街を歩く人々は皆この時期を乗り越えた人々の表面で、産後の育児の過酷さは外からは何も見えず、裏面は広く知られていないのだということを、育児が始まってみてはじめて知った。そんな1ヶ月間は、お世辞でもなく、夫はよく育児をし家事をしている。時に不安を抱え焦り荒ぶる私に夫がかける言葉と起こす行動はだいたい、ゆっくりでいい、だいじょうぶ、あせらないでいい、よくできてるよ、俺がやっておくよと、そんな感じで、おかげで心はゆっくりと平常心を取り戻す。彼の言動を見ていると、ふと、彼の亡くなった父の存在を見るような気がする。義父はとても寡黙な人で、私と会話した場面を思い浮かべても本当に数少なく、しかも私達が結婚して数年後に病気で亡くなってしまったから私は義父のたくさんを知らないままだったのだけど、小児科の医師だった義父のもとをたくさん訪れてきたであろう不安げなお母さんたちと子どもたちに、義父がどう接してきたのかがこの1ヶ月でちょっと分かったような気がした。夫は寡黙な父の背中から、きっと雄弁なまでにたくさんを受け取ってきたのだろうなと思った
私は、この子になにかを残してあげられるような親になれるだろうか。とりあえずここまでの時間を省みても、私はけして立派な親にはなれそうもない。いまだに抱っこも下手くそだし、すぐ自信も無くなるし、すぐ泣くし、あたふたオロオロで、頼れるお母さんには程遠い。ただ私にとって、絶対に守りたい存在ができたことは確かで、そしてこの子がいつか私の手を離れ巣立っていき、もしもひとり孤独を感じることがあっても、ひとりじゃないと思えるくらいの愛情を、彼に残したい、それだけは絶対にと思うのだ。

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妊娠してからの日々の変化を綴ってきましたが、今回で連載は最後となります。
育児は笑いあり涙ありの日々。世界は見えないことだらけなのだなと、この子に手をひかれながら教えてもらっているような気がします。そんな徒然をまたこうして綴る機会があるかもしれないし、ないかもしれないけど、そのときまで、さようなら。
今まで読んでくださったみなさま、ありがとうございました。