Lifestyle magazine
for modern family

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DATE 2018.10.10

10 こんにちわとさようならのあいだ

グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが、妊娠して日々変化する体から、今まで見えなかったことに日々出会い、新陳代謝していく景色を綴るエッセイ。
なんだかんだであと数日で出てくる。そう思うとちょっと寂しくなるくらいのこの一体感とはあと少しでさようならで、未知のこんにちはがやって来る。
妊娠後期はこんなに腰がガタガタになると思わなかったし、こんなにホルモンで関節がリウマチみたいに痛くなると思わなかったし、こんなに骨盤はミシミシ変化し恥骨がパキパキ痛むと思わなかったし、妊娠9-10ヶ月目はいつもイテテと言いながらそろーりそろり歩く、不快度指数高めの体調。これから妻が双子を産むんですという人からは妻のそれより大きいと言われるくらい、腹がデカくなっていく。ゆえに色んな人達と仕事で会うたびにみんながお腹を見て“おおお〜”と笑ってくれるのだけど、それが妙に嬉しかったのはなんでだろう。立会い現場では“いま一番立ち会いたい腹ナンバーワン”と言われ(ありがとう)、仕事仲間の写真家たちは物珍しそうに写真を撮ってくれ(宝物です)、ほとんどの仕事では見兼ねてスケジュールの前倒しに都度協力してくれ(助かりました)、そしてうちのスタッフのみんなは毎日私のノソノソ歩きと体調をフォローしてくれ(感謝しかない)、なんか、産んでからの仕事のペースがどうなるか未知であっても、なんとかいけそうな気がするのは、こうやって仕事仲間がこの腹の成長とそれによってスムーズに行くことも行かない事も含め、変化を間近で見守ってくれているからかもしれない。

いまはもう出産間近なせいかだいぶマシになったけど、こないだまでお子の動きで、お腹がぐわんぐわん右に左に形を変え、子宮を押され、膀胱をいじられ、胃袋を押すので、とても痛くて即立ち止まり硬直すること多々。いつも突然くるアグレッシブな動きに思わずイッテェと声が漏れ、時にはあまりの痛みに無言で涙を流しながらウミガメのように耐えていたりした、まだ何も産んでないのに。この胎動も人それぞれで、そんなに動かないし痛くもない人もいるらしいけど、私も妊娠中期の頃は“元気だねえ”なんて微笑ましく動きを愛しむみたいな感じだったのに、後期は痛みのあまり“頼むからまじで早く出てきてくれ”と頼みこむような有り様。

8ヶ月頃までゆっくりと描いてきたこの子の成長曲線は、9ヶ月から10ヶ月の1ヶ月ちょいで一気にプラス約1キロくらいになると聞き、そんなのありえないでしょと思うくらいお腹は十分にパッツパツ、且つヘソはもう伸び切ったために皮膚のバッファーは無く、見た目的にも皮膚的にも体力的にも限界を感じるこの腹にとって、そんな1キロ増って、、と遠い目になりつつも、体重計にのると着々と見たことのない領域に突入していて、ありえるんだなと唖然。出すぎたお腹により屈んで靴が履けなくてそれでもよいせと屈んだらバランスを崩してゴロンと後ろに倒れ仰向けになった時は、ひとり天井を見ながらふと“お相撲さんって毎日どうしてるんだろう”と尊敬した。
そして兎に角ねむい。夜中の胎動が激し過ぎて夜は眠れなく、日中はよくウトウトしており、たまに事務所のソファに横になっている。あーいまこの出っ張りは足だなここは頭だな、などとお腹の子とやりとりしながらウトウトしていると、そのうち小さな手が私のお腹の皮を伸ばしてニュッと現れ、私の手を探して触るようになり、おぉこんにちわとお互いににぎにぎ握手をしたりして嬉しかったのだけど、そしたらこんどは頭がニュッと顔がわかるくらいにお腹の皮を伸ばして出てきて、おぉすごいねと突き出た頭を抱っこしつつ、しかしこの状態ってもしや側から見たらけっこうエグいのかもと思い、スタッフみんなに気持ち悪がられないように先手を打って「みてみておもしろ〜い こんなに出てきたわ〜 ね〜すごいね〜」と朗らかに状況を紹介する、という夢を見た。ある日はいつもの検診で採血した自分の血が元気過ぎて、シャーレの中でぐわんぐわん踊っていたり、ある日は陣痛の痛みって油で揚げたら半分になるらしいと陣痛を油で揚げてみたり、ある日はすでに出産を終えてにこやかにしている私がいて「その未来にワープってできないんだっけ」とどうにか出産を跳び越える相談を未来の私にしているなど、兎に角、よく夢を見ていた。
ある日はどんなに眠くてもしんどくても体は動かして体力つけないとなと、いつもの帰路を遠回りして公園をぐるーり散歩を散歩。獣道のような長い石階段にさしかかったので気合いを入れつつも、重い足どりの一歩目の足元を見たら、わたしはゴツイ石でできた下駄を履いていた。そりゃ足が重いはずだわと妙に納得してゴチンゴチンゆっくり大きな音を立てながら薄暗い急勾配の階段を這いつくばりながら歩き、中盤にさしかかってふと横をみると、そこは実家の裏山の墓地だった。薄暗くなった獣道に広がっていた墓地に一瞬驚いたけど、鬱蒼とした墓地の土の中の沢山の“死”と、お腹の中にあるぽつんとした“生”との間には、無数の長い長い鎖が横たわっており、私はその鎖の一点を腹に抱えながら生と死の「間」がありありと目の前にあることに、感慨深さを覚えすっかり立ち停まっていた。するとむこうから人が来て、這いつくばった妊婦にビクッと驚く。その人は全盲のようで、彼は同じく足もとの悪さに悪戦苦闘してここまで来たらしく、私達はお互いの状況に、ここまで歩くの大変でしたよねと、ねぎらいあった、という夢。休日のベットの上だった。
休日を何もせずにただただ休んでいる、ということをしたのはかなり久しぶりで、良い時間だった。体を動かすといちいちどこかしら痛いから、何もしたくないしどこにも行きたくなくて、ただ横になっていたかった日々が続いたのだけど、しかしそんな休日も悪くなく、ベッドで夫と猫とお腹の子と私でゴロゴロしている時、みんなが私をとりかこむように寝転んでいるこの時間を、幸せだなあとふと思ったのだった。同時に、何でもなくて何にもないこの時間を、幸せだとちゃんと思ったことを、覚えておこうとも。同じようなことを昔、実家の縁側で思った。田植えの時期だったか手伝いで帰省した私は、まだ痴呆もそこまで酷くなく体も自分でなんとか動かせる状態だった祖父と祖母と私の3人で、畳の上に寝転がり日向ぼっこをしていた。大好きな祖父と祖母と一緒にのんびり過ごす時間はすごく幸せだったと同時に、ふとこの時間を、こうして一緒に過ごせる最後かもしれないから、この匂いや陽だまりや3人のここにある空気をちゃんと覚えておこうとも思った。だから祖父も祖母が死んだ今でも、あの時間をちゃんと鮮明に思い出す事ができる。
ゴーギャンの絵画にあるような、私たちはどこから来てどこにゆくのか、というような問いはスケールが大きすぎるけど、でももしもいつか子どもがそのような問いを私に向けて来たら、少なくとも確実に“ここ”から来たよということだけは、はっきりと言える。別の答えもあると思うけど、少なくともあなたの命は確実にここで芽生え、ここで育っていき、ここで意識を持ち始めたことを、私は身をもって知っている。私もそうだったし、祖父も祖母もかつてそうだったし、みんなの“ここ”から来て、そして土に還っていったよ。
生とともにある死。死とともにある生。これから出会うこんにちはには、さようならが表裏一体となっている。光のもとに落ちている影。たくさんの“あのとき”からずっと続いている今。それらを全て纏いながら、わたしはそろそろ出産を迎える。胎動はだいぶおちつき、今度は前駆陣痛とやらにうなされている毎晩。変化は毎日少しづつやってくる。また知らなかった景色が、もうすぐやってくるのだな。