Lifestyle magazine
for modern family

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DATE 2018.08.01

03 優しさと世知辛さの一期一会

グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが、妊娠して日々変化する体から、今まで見えなかったことに日々出会い、新陳代謝していく景色を綴るエッセイ。
お腹が大きくなり始めた5ヶ月目くらいから、隙あらば「赤ちゃん」というものをまじまじ見たい欲求にかられるようになっていた。道端で、電車で、ネットで、どこであっても視界に入ると目で追い、他人の子どもでもかわいくて、思わずデヘヘと緩い顔で見てしまうのだった。
新生児らしき赤ちゃんをカンガルーのように布で胸元に巻きつけている人の姿は特にぐっとくるものがあり、母にフニフニとぺったりくっついている赤ちゃんの頼りないさまが愛おしく、支柱となる母がいなければ成り立たない相互関係が甘やかで特別な時間に思え、はばからずじっくり見てしまう。先日バスを待っていたときも、同じくバスを待つ女性の胸元にちっちゃな新生児が、布で母体と一体になって巻かれペトっとくっついている姿がもうたまらなくて、その赤ちゃんと布と母との三位一体具合を、それはそれはじいっと見てしまった。「いま何ヶ月ですか?」あまりに熱い視線を送り続けてしまったせいで、彼女が声をかけてくれたことに一瞬あわわとなったが、それから彼女は、この布は子育てが終わった友人からもらったことや、彼女にとって便利で向いている理由や、彼女の三人目の子供の子育てのことなど、優しく色々話してくれたのだった。
また別の日は、電車の中で。赤ちゃんを抱っこした女性が座っており、ちょうど席が全て埋まっていたので、しめしめと近くに立ってかわいい赤ちゃんを存分にデへへと眺めていた。「いま何ヶ月なんですか?」またもや私の熱いじっとりした視線に、彼女は笑みを返してくれた。5ヶ月なんですとこたえ、わたしと彼女は、出産にまつわる話や、つわりの話、妊娠の話、ついかわいくてじっと見てしまうこの欲求のことなどを話した。そしてひと息ついて彼女は私のお腹を見て、「今思うと妊娠の時間が一番ゆったりと幸せな時だったなあ、、、」と笑った。、、そうなんだよなあ、きっと本当にそうなんだろうなあ。一瞬遠い目をしたかのように見えた彼女の毎日はどんなものなんだろう。まだ見ぬ未知の怒濤の時間が、果たしてどんなものなのか、同様に身の回りのいろんな人達からも聞くものの、実感を伴うわけもなく、想像してはやはり未知すぎてただただ「そうなんですねぇ、、」とぼんやりするだけの私であった。
お腹が大きくなってきてから、こうして見知らぬ人と接することが増えたように思う。私が見知らぬ子連れのひとにデヘデヘと熱い視線を送っているせいもあるけれど、それに限らず見知らぬさまざまな人の優しさに出会うことは、お腹が大きくなってから明らかに変化した景色だった。特に移動の時間は、わたしのお腹を見てにこやかに話しかけてくれるひと、さっと席を譲ってくれるひと、何も言わずに駅で降りるフリをして実は席を譲ってくれているひとなど、見知らぬ人から受け取った優しさは沢山あり、その度に素直に嬉しかった。しかしこうしてささやかな優しさに出会うことが増えたのと同様に、ささやかな世知辛さに出会うこともあり、先日妊婦の女友達らと会った時は、そんな話になった。このお腹を見るなり満席の電車は目を閉じて眠りはじめたとか、急いでいるのか気にせず一目散にぶつかってこられたとか、いろんな経験を友人ら一同あるあると頷く。だからこそ、見知らぬ人から受け取った優しさは、バトンのように次の見知らぬ人に渡しまくりたいと思う妊婦は多いのではないだろうか。
ゆえにお腹が大きくなってきてから、様々な場面でこれまで以上に目に入るようになったのは、子連れのひとだけではない。それはお年寄りや足腰の悪い人や障がいのある人など、健康な若い人のようにサクサク歩けない人々である。自分がサクサクいけないことから擬似的に実感を伴って想像するようになったのもあるし、彼ら彼女らの導線と妊婦や子連れの動線はやや似ているので、以前にも増して気になるようになった。彼らもまた、見知らぬ人の優しさを受け取ることもあれば、ささやかに他者から向けられた厄介さを、無意識のうちに、ときにダイレクトに、受け取っているのではないだろうか。
しかしいくら想像してみても、実際その人の身になってみないと分からないことってやっぱり沢山あって、いざ自分がその状態になってみてはじめて、身体的に、精神的に、理解する。そうやって自分が初めてその立場になって鮮やかに分かることがあればあるほど、他者というものは根本的に理解できないものなんだなとあらためて思う。特に、痛み、悲しみ、苦しみ、そういった類いのことは、いくら分かろうとしても当の本人にはなり得ないし分かりきれない。それでも、だからこそ相手に対して必要なのが「想像力」なのだと思うし、想像して寄添うことを諦めたくはないと思う。例えば妊娠、出産、流産、中絶、不妊など、どれをとっても相手あってのことであれ精神的肉体的な痛みや悲しみを伴うのは当の本人なわけで、その選択やおかれた状況は本人以外に知り尽くせない。それらの事に対し、他者が分かったような気になって、それが想像力の欠如とも気付けずに発する無邪気な発言は、やはり度々出会うわけで、その度に丁寧に説明することにしんどさを感じる。だけど、そこも諦めちゃいけない。それについてはまた今度に。