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DATE 2019.06.11

川島小鳥「目の前のものが写るという、原始的な喜び」

さまざまな写真家の“子どもになって撮る1 枚”をご紹介。第8回目の写真家は、川島小鳥さん。一緒に考える、写真の魅力、写真の不思議、写真てなあに。

光っているものを撮りたい。その想いで、反射的に太陽を撮る

眩しいほど照りつける太陽。川島さんは撮影の合間や日常で、それに向かっておもむろにカメラを向けることがあるという。ふと思い立ち、露出や画角などを計算することなく、太陽に向かって直感と勢いに任せてシャッターを1度だけ切る。
「子どもになって撮る」というテーマは、誰もが“ 無理” というところから始まると思うんです。僕たちは今、写真というものに対して経験値や知識がある。でも子どもにはそれがないからこそ撮れる写真があって、そこはどうしても僕たちには実現できないもの。そこで、“僕はどういう時に無心で撮っているだろう?” と考えた時、太陽を撮っている時かもしれないと思ったんです」
仕事で撮った写真の合間に、ふと交じっている太陽の写真。何に使うわけでもなく、好きだから衝動的に撮った1枚。それは、学生の頃にただただ写真が好きで、発表する気も場もなく撮っていた気持ちを思い出させるという。

写真を無心に撮るということが、子どもになって撮る1枚なのかもしれない。川島さんが無心になって撮るのが太陽。原始的な喜びによって突き動かされ、撮る。「光っているものに惹かれます。ふと空を見上げ、太陽に向かって1度だけシャッターを切る時がある。仕事の写真の中にふと現れる、1枚の太陽写真」

「太陽に惹かれる気持ち。きっと僕は、“ 光っているもの” が撮りたいんだと思います。写真って昔はそもそも“ 光画” と呼ばれていたといわれていて。光の画。そこで思い出すのが、子どもの頃、子ども雑誌の付録にあった“ 日光写真” の存在。すごく簡単な作りで、写真を写すことができる箱みたいなもの。その時に「ただの紙に何かが写る」ということがとても面白くて、驚いたことを鮮明に覚えています。それが、僕にとっての“ 写真” の最初の記憶かもしれない。写真というより、“光画” の記憶とも言えるけれど。“写真” という名前になると、何かテーマがあったり自己表現のひとつだったりする。でも“ 光画” というと、風景そのままが写る、目の前のものが写るという、原始的な喜びみたいなものに近い気がします。僕がたまに太陽を撮る時の気持ちって、そういう感覚。原始的な喜びとリンクするんです」

撮ったものが写る。でも、目で見たものとはまた違う。そのズレが面白い

川島さんにとって、“光画” の記憶は、幼い子どもの頃。では、“写真” の記憶とは?
「写真というものに興味を持ちだしたのは、高校生の頃です。元々は、映画が大好きで、毎日映画を観ていました。将来は絶対に映画に携わる仕事をするんだと決めていました。でも、映画は大人数のチームで作るもの。まずは練習しようと思い、写真を撮り始めました。ある日、映画を撮ってみようということになったら、メンバーそれぞれのやりたいことがまとまらず、うまくいかなかったんです。その時に、僕はチームで作るものより、個人で動ける写真の方が向いているんじゃないかと思いました。練習として撮っていたはずの写真にのめりこんでいく自分に気づいて。その頃は、何これ?と思われるようなものをコンパクトカメラで撮っていました。よく撮っていたのは、電信柱。撮り続けているうちに、初めは目で見えるものが写るという単純な喜びだったのが、撮り方やカメラ次第で目で見えたものとはまた違う画が写ることの喜びにも目覚めていって。この太陽の写真もそう。目ではこんなふうに光線は見えないけれど、写真になった時には光線が写っていますよね。僕にとって、“写真” は光と同じような存在なのかもしれない。光があって、影がある。そういう単純であたり前の存在。写真も、撮れば写るし、撮ろうと思っていた以上のものが写ることもある。ただ、光も写真も、“ 届かない” という憧れのような気持ちもある。これからも僕はきっと、太陽や光っているものを反射的に、原始的な喜びとともに撮っていくのだと思います」

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