3 パリのピカソ美術館で「天才とは?」を考える

アートの評論家、解剖学者という肩書きを持つ布施英利は、アーティストを志す息子を持つ父親でもあります。ここでは、親子ふたりがヨーロッパ旅行でふれたアート体験を通して、つい子どもに教えたくなるようなプロによるアートの読み解き方、そして布施流子育て論をお届けします!

旅の終着地は、芸術の都パリへ

旅の終わり、パリの空港から帰国するため、パリに来た。

オルセー美術館やルーブル美術館というパリの定番美術館にも行った。オルセーでは「セザンヌの肖像画」という特別展をやっていた。

何年か前、『パリの美術館で美を学ぶ』(光文社新書)という本を書いたことがある。その年は、本の準備のた1年間に5回もパリに足を運んだ。いちおう、そういう本を書いたくらいなので、パリの美術館のたくさんの美術館を熟知しているが、一番好きなのは、ピカソ美術館だ。もしパリに来て、時間がなく、ひとつの美術館しか行けないとしたらピカソ美術館をオススメする。建物の雰囲気もいいし、もちろん作品も良い。

ピカソ美術館、パリ

必見のピカソ美術館には、最高傑作がずらり

ピカソ美術館は、ピカソの死後、遺族が税金の代わりにピカソの絵を国家に寄贈することで生まれた美術館だ。「ピカソの絵画の最大のコレクターは、ピカソだ」と言われるほどに、膨大な数の作品がピカソの手元にはあった。

「手元に残った作品」というのは、普通はイコール「売れなかった作品」のことだが、ピカソは超売れっ子の作家だったから、売れない、ということはあり得なかった。何しろ、お城のような別荘が欲しいと思えば、絵を一枚描いて、それを画商のところに持っていけば、そのお金で城が手に入ったというエピソードすらある。つまりピカソの手元に残された絵というのは「売れない」のではなく、ピカソにとって大切な「売らない」絵のコレクションだったのだ。だから、ピカソの最上の作品群が、パリのピカソ美術館にはある。

その中に、ピカソが若い頃に描いた友人の肖像がある。ピカソは、20歳の頃、スペインから友人のカサヘマスと二人で、画家としての成功を夢見てパリへやって来た。しかしカサヘマスは夢破れ、自ら命を絶った。その死せる友人の肖像画が、パリのピカソ美術館に展示されている。

ピカソ美術館、パリ

ゴッホの絵のタッチのような手法で描かれた絵で、未だピカソも自身のスタイルを見出していない若い頃の絵だ。しかし人生の絶望と儚さをとらえた心打つ名画である。ピカソは生涯、この絵をどこの美術館にも、誰にも売らず、ずっと手元に置いていた。人生で、大切な絵だったのだろう。

 

>>次は「本物」を見せて伸ばす、子どもの発見する力

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