Lifestyle magazine
for modern family

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DATE 2018.06.10

お題 06:「秘密」
(提案者:高原たま)

ワガママだっていいじゃない!子どもに愛を注ぐようにじぶんの人生も愛したい!そんな3人の女たちが紡ぐアートワーク。ひとりがお題を出し、リレーをしながら3人でひとつの作品を仕上げます。3段階のアプローチで作品がどんな風に進んでゆくのか、自由な解釈でご覧ください。

タイトル:「真夜中のキツネ」
写真/松元絵里子

タイトル:「ウィークディ・昼下がり」
絵/よしいちひろ

タイトル:「日曜三時のプリンアラモード」
文/高原たま

 だれかが在宅していると思うとつい家に鍵をおいて出てしまうという悪癖があって、平日にもかかわらずまたやってしまった。家の者も出掛けてしまっているので、とうぜん家の中には入れない。あわただしくタクシーをつかまえてこどもの園に迎えにゆく。そのまま近所のカフェに乗りつけて、せめていつもの時間どおりに晩ごはんを食べることにした。
 子は特別にお願いしたキッズミールには目もくれず、「ソッチ! ソッチ!」とにんにくの効いたカラスミのオイルパスタを所望しては、取り分けてやるなり満足そうにすすっている。塩分とりすぎな気もするけれども、たまのことだし、マ、いっか。
 椅子から落ちないか、ものを必要以上に飛び散らかさないか、大騒ぎをしないか……ひたすら注意ぶかく見ていなくてはならないのがどうにも億劫で、昼でもふたりきりで外食するということはほとんどなかった。はからずも、夜にはじめてふたり、外で食べるということになったこの晩に、子は子で、わたしはわたしで、それなりに食事ができるようになっていたことを知った。
 就寝前、ただただ静かな暗がりでかたく目を閉じ富士山型の口をひな鳥のようにあけて、わたしがおちちをふくませるのをじぃっと待っていたころのあかんぼうと目の前の子どもとは別人である。そして誰かのつくったごはんで身も心も満たしている子どもは、いまや親とは切り離されたまったくひとりの人なのだった。
 それにしても、ときどきこうしてふたりで外で晩ごはんを食べたりするのも気楽でいいかもしれないな、と鍵を忘れたことをかえりみずに不埒な想像をしたら、唐突に思い出したのである。
 小学校六年生の冬、日曜日の午後だった。
 「卒業式に着るものをみにいこうか」といわれて、母親とふたりで出掛けることになった。手製の服や浴衣なんかの生地選びはべつとして、洋服はそれまで一方的に与えられるだけだったし、ふだんは三つ年下の弟も一緒だったので、母親とふたりきりでどこかへ出かけるというのも物心ついてからはじめてのことだったように記憶している。
 デパートのすがた見の前で試着をくりかえした結果、選びとったのは、淡いグレーとブルーが交差するオンブレチェック柄のベストと、セットになったグレーのキュロットだった。ショートカットでひょろっとしたメガネっ子のじぶんを清潔で上等に見せてくれると直感したし、自身がかんぜんに選んだものである、という事実がわたしの気分をものすごく昂ぶらせていた。選んでいるあいだ母親は口出しをせずに棚のあいだをぬって歩きまわり、さいごに試着室へやってきて、「似合ってるんじゃない」とひとこと言ったような気がする。なにしろ高揚感と解放感とで手いっぱいで、彼女がどうしていたかということをあまり覚えていないのだ。
 そのまま帰るものだと思っていたら、母親はデパートの一階にある喫茶店にはいろうと言う。なにかにつけて「模範的な母親」であろうとしたのだろう彼女は、子どもの口に入るものにも常に目配りをし、外食に慎重なたちだった。おやつだって日々、手づくりしていた。さすがに他の子との関係性に配慮したのか遠足の日用にだけは市販のものを買ってもいいということになっていたけれど、それは例外中の例外で、とにかく思いつきでこども達と喫茶店に入るようなひとではなかったのだ。
 すこし戸惑いながら席につき、先頭に記されていたプリンアラモードを注文する。白くひらたい楕円をした皿のまんなかに艶めくカラメルの堂々たるプリンが鎮座し、たっぷりの生クリームがプリンを護るようにとりかこんでいた。さらにまわりには皮に細工をほどこされたくし型のりんごや、美しい断面のキウイ、いかにもみずみずしいネーブルなんかがちりばめられていた。奇妙だったのは、それらの上にかぶさる鳥の巣のようなかたまりの存在だった。細い細い筋が絡まりあった黄金色のかたまりは、うっすらと西陽を反射させて神経質に光っていた。目の前にすわる、パーマのかかった母親のあたまのようでもあった。
 「あめだよ、食べてごらん」
 母親はフォークの先で鳥の巣をつつくと、わたしの口にはこんだ。彼女のことばの意味を「雨だよ、早く食べなさい」と急かされたのだと受けとってすこし焦っているわずかなうちに、フォークの上のぱりぱりと尖った絡まりは、あまく溶けていった。鳥の巣は、糸飴というものだった。
 うす味の食事とおやつによるすりこみの結果なのかどうか、ほんとうのところ、わたしはプリンも生クリームもちっとも好きではない子どもだった。果物だって菓子の味と混ぜずに果物だけで食べたかったのだけれど、あのときは進んでキウイを噛んだしプリンをすくった。まちがいなく幸福な気分でぱりぱりの行方を舌の上で確かめていた。
 母親は色のうすい紅茶をすすりながら、「はじめてだね」と笑っていた。それが「はじめて服を選んだね」という意味なのか「はじめてふたりでお茶をしたね」なのか、はたまた「はじめて糸飴というものを食べたね」なのかはわからなかった。母親なりに心を決めて「はじめて」の日を迎えたのかもしれないし、あんがい何も考えていなかったのかもしれない。色々なことはわからないままだったけれど、今日のことはぜんぶ彼女とわたしだけの秘密で、弟には黙っておこうと思った午後だった。

(8・18)

次回は松元絵里子がお題を出し、よしいちひろから制作をスタート。

お題は「お祝い」。ぜひお楽しみに。