Lifestyle magazine
for modern family

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DATE 2018.05.10

お題 05:「ライバル」
(提案者:よしいちひろ)

ワガママだっていいじゃない!子どもに愛を注ぐようにじぶんの人生も愛したい!そんな3人の女たちが紡ぐアートワーク。ひとりがお題を出し、リレーをしながら3人でひとつの作品を仕上げます。3段階のアプローチで作品がどんな風に進んでゆくのか、自由な解釈でご覧ください。

タイトル:「さーさんと」
文/高原たま

 このあいだの週末、数か月ぶりに能登からさーさんがやってきた。気前よく陽に焼けたさーさんの姿を玄関にみつけるなり、「アッ! サーサン!」とこどもは駆けよって足にまとわりつく。このふた月ほど「コーワーイー!!!」と絶叫しながら号泣するのでほとほと手をやいていた乗り物恐怖症も、彼女とバスに乗ることであっさり克服された。ちなみに2歳をひかえた今の時点でこどもが名を呼ぶおとなは、わたしと夫、そしてさーさんの3人だけである。
 この数年の彼女の住まいは能登半島のまんなかくらいの町にあるものの、気づいたときにはしょっちゅう海外にいる風来坊。わたしが出産したときはラオスを旅していて、かの地で手に入れたこども用の羽織やふきんなんかをたっぷり詰めたつづらを抱えて、成田から産院に寄ってくれた。
 能登に移る前、さーさんは東京に暮らしていた。
 その前はヴェトナム、その前はタイの山奥に。政府の機関や領事館など彼女の能力と人柄がいきる場所で、たのしそうに働いているようだった。
 それより前は神奈川に住んでいて、わたしたちは学生だった。入学して最初の授業がはじまる教室。隣の席が空いていてこころもとないくせに、あとから入ってきた女子学生に「ここいいですか?」と訊かれ、なぜかとっさに「あ、ひとがくるんです」と答えてしまったわたしだった。すぐあとにべつの女子学生があらわれて、「いま、空いてるのに空いてないっていったでしょ」と笑いながら席についた。とても自然にすべらかに。いつでも、どんな相手でも、たちまち馴染んでしまうのがさーさんだった。
 ふたりとも学校のちかくにひとり暮らしをしていたので、誰かと仕上げなくてはならない課題(グループワークがやたらと多い学部だった)のある晩や試験の前には、どちらかの部屋に押し掛けた。そしてそのまま床の上にころがって眠ってしまい、朝になって慌てる、というのがいつものことだった。あるいは早起きのさーさんはわたしが眠っている間に早朝のコンビニバイトを終らせて戻ってくると、よく鍋焼きうどんをつくってくれた。今はどうだか知らないけれど、そのコンビニでは賞味期限の切れそうなたべものを廃棄処分するにあたって、アルバイトが持って帰ることを黙認していたのだ。ぺなぺなのアルミホイルのなかで煮立ったピンクのかまぼこや、つゆを吸っても堅くて小ぶりなしいたけ、全くこしのないうどんは、恋人と食べる朝ごはんよりもずいぶん親密な味がした。
 早起きで、ダンスやサッカーを愛するアウトドア派で、整頓好きで、何か国語もしゃべって、いつも心は平らかで。じぶんとはなんの共通点もないような彼女との付き合いは、卒業してからも海をまたいでゆるやかにつづいた。
 幾年も経ってさーさんが帰国すると偶然にもたがいの仕事場が徒歩圏内になったことで、わたしたちはものすごく頻繁に会うようになった。試験勉強を放棄して朝を迎える日々とは真逆の精神が必要な生活を送りながら、受け取るお金に真摯であろうとして、めずらしくふたりとも、もがいている時期だったように思う。それぞれの仕事は夜ふけまで続くので、くる日もくる日もかぎられた昼食の時間に落ち合った。トンカツ屋のカウンターで、寿司屋の座敷で、アジア料理屋のがたつくテーブルで。たががはずれたように喜怒哀楽を共有し、じぶんをなだめ、なんとか感情のやりくりをして暮らしていた。
 そうしていたらとつぜん、「東京をはなれて能登に住むことにした」と宣告されたのだ。今はなくなってしまったフルーツパーラーで、いちごとバナナのサンドウィッチにかぶりついていたときのことだった。ちょっとパサついたパンのみみの薄甘さを、舌の上にはっきりと思い出す。
 さーさんはさっぱりとしたいつもの表情でつづけた。「理由はわからないけれど、ちょっと行ったら住んでみたくなったんだよね。仕事も決めた。抱えていた仕事もひと区切りついたしね」
 「そっか、それはたのしみだね」と相槌をうちながら、じぶんでもびっくりするくらいにうちのめされていた。
 さーさんがいなくなる。
 永遠に消えてしまうわけではないし、ましてや以前のように海外で暮らすわけでもない。あたらしい選択肢をみつけだして引っ越すというだけのことだ。頭では理解しているよろこばしさとは裏腹に、けれどちっともよろこべない。置いていかれるというさみしさばかりが先に立ち、わたしは能登に嫉妬していた。
 これまでもそうだった。わたしはいつも、女ともだちのだいじな誰かに嫉妬していた。だいじな誰かというのはたいていの場合、彼氏や夫だった。わたしがいくら女ともだちを優先し大切に関係をはぐくもうとも、あとからあらわれた彼氏や夫がやすやすと彼女たちの心をさらってしまうのだ。彼女たちの余暇はみるみるうちにうばわれ、誘っても誘っても、すでに彼らと過ごすことに決まっているのだった。こどもじみた執着だということはじゅうぶんに分かっている。誰かは誰かのものではない。だからせめてお門違いな感情を口に出したりはしないようにつとめた。ついにひとではない相手までをもライバル視するようになるだなんて、どうかしてると思いながら。
 もともと身の回りのものが少なかったさーさんは、あっという間に荷物をまとめて能登へ発った。ご近所さんに箱いっぱいのイカをもらっただの築百年の平屋を紹介してもらったので修繕して住むようになっただのと、本来のさーさんらしく、あたらしい生活に着々と馴染んでいるようだった。
 いったい、彼女を連れていった能登という土地はどれほどのものなのか――移住して数か月たった冬、わたしは蟹を食べることが目的であると装って、能登を訪ねてみることにした。すてられた愛人が未練がましく本妻をのぞき見しに行くようないじましさである。
 果たして。アラレの降りしきる冬の能登はすっかり葉の落ちたはだかの山に囲まれ、空港からすこし走れば荒ぶる日本海。寒風吹きすさぶその海際では、車を降りると目を開けることすらままならない。棒立ちでダウンコートのフードを深くかぶりなおすと、「世界が灰色でしょ」とさーさんがにこにこしているので拍子ぬけしてしまった。うしろ暗い気もちをかかえて偵察にやってきたことがバカバカしく思えたころ、わずかに射していた日も落ちてきた。徐々に漆黒にとろけてゆく海を臨みながら市営の露天風呂につかっていると、不覚にも心がほどけてゆくのがわかった。
 さーさんの住まう件の平屋でこたつにもぐりこんで自家製のイカの塩辛(蟹はもちろんおいしかったのだけれど、新鮮な身とワタでこしらえた柚子の香る塩辛は絶品なのだった)をつまんでいるうち、まずいぞ、と思いはじめた。これはずるずると虜になってしまうパターンではないだろうか。派手なわかりやすさがないからこそむしろ、この土地にはその先をもっと知りたくなる色気がある。底の知れないこわさと背中合わせの色気が。居間を取り囲むどっしりとした輪島塗りの引き戸が、微笑するように黒光りして見えた。
 気づいたら二度三度と能登に通うようになっていた。冬のあいだ地味に感じていた景色は月ごとに鮮やかな色彩を帯びて、あらゆる表情を自在に使い分ける懐深い本妻の手管を見せつける。春には青々とした山にわけいってうどやわらびを摘みがてら、甘いわき水に喉を鳴らし、夏は明度の高まった海でさざえやあわび採りにクタクタになって、耳に残る潮騒をたどりながらまどろんだ。秋には秋できのこを求めて夜明けとともに山に入る。足元はどこまでもふかふかして、しんと湿ったにおいの奥で朝露に濡れたクモの巣がキラキラと光のつぶを揺らしていた。四季がひとめぐりして妊娠がわかり飛行機に乗れなくなるまで、わたしは能登に通いつづけた。さーさんに会いたかったし、能登に会いたかった。

 

 産院にあらわれて以降も、さーさんは仕事のついでといって月に一度はわが家へやってきて、あかんぼうのことを面白がってあやしてくれた。夫は仕事で明け方まで帰らないということがつづくなかで四六時中のべつまくなし泣いてばかりいる乳飲み児とふたり、気を失いそうになりながら過ごしていたから、一瞬の晴れ間のようなさーさんの来訪がどれだけ心づよいものだったかわからない。ときどき、便秘で不機嫌になっているあかんぼうにさーさんがのんびりとした口調で排泄をうながすと、意味がわかっているのかいないのか、あかんぼうは顔を皺だらけにしていきむ。皺を指先で弾きながらさーさんが「かわいい~」と呟くと、まだ得体のしれない相手としかとらえられないでいるあかんぼうのことを、ほんとうはかわいい存在なのだろうと信じることができた。
 はじめて北陸新幹線に乗ったのは、あかんぼうが七か月になろうとする春先だった。あいかわらず夫の帰りは遅く、保育園にも20軒以上落ちつづけたままで、見通しのたたぬ浪人生活を想像して頭に靄がかかっていたころのことだ。じぶんの仕事の時間は自由に調整できるからしばらく能登にくればいいとさーさんが誘ってくれた。子とふたりきりで飛行機の旅をすることにしりごみしていたわたしに「金沢まで迎えにいくから新幹線でくればいいよ」と言ってすぐにチケットの手配を済ませると、ほんとうに金沢駅まで迎えにきてくれた。能登空港からさーさんの家ならばすぐなのに、2時間くらいかかる里山街道をぶっとばして。後部座席には、3人の子育てがおわった能登のご婦人から譲りうけたというチャイルドシートが、慣れたかんじで装着してあった。
 サービスエリアでのおむつがえをはさみつつ金沢から3時間以上かけて北上してゆくと、能登半島に入るなり芽吹きの季節だった。山道を進むごと揺れる杉の枝先から冗談みたいに花粉が散って、フロントガラスはびっしりと黄金色の粉に覆いつくされる。ぐーんと扇を描いてワイパーが振れるとかえって花粉はガラスにこびりつき、前が全然見えなくなった。みっともなく薄汚れたその様がわけもなくおかしくて、ペットボトルの水をフロントガラスにかけながら、わたしたちはずっと笑っていた。あかんぼうも笑っていた。
 あかんぼうはさーさんから特訓をうけて、10日ばかり逗留するうちにハイハイをはじめた。それからも、何度も何度もさーさんはわたしたちを金沢まで迎えにきて、金沢まで送り届けてくれた。
 数か月後にやっと保育園がみつかって仕事や雑事に翻弄されるようになると、とたんに能登へは行けなくなった。けれども、当然さーさんはわたしのようにいじけることなどせず、変わらずふらっとわが家にあらわれる。遠くの親戚より近くの他人。そのどちらでもない彼女がかろやかに能登へ連れていってくれた宙ぶらりんな日々のことを、たぶんずっと忘れないと思う。

(7・26)

タイトル:「あの頃のわたしより」
写真/松元絵里子

タイトル:「2014年夏、犬と、自宅前にて」
絵/よしいちひろ

次回は高原たまがお題を出し、松元絵里子から制作をスタート。

お題は「秘密」。ぜひお楽しみに。